理事長の部屋

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2月 冬木立

-葉が落ちて 飾りの取れた 美しさ-

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                 うっすら雪化粧した山々と大きな冬木

 先の115日、16日の大寒波により三重県北勢地方には大雪が降り、いなべ市では50cm、四日市市や桑名市でも30cm前後の積雪を記録しました。16日(月)の朝出勤のため桑名へ向かう電車に乗った私は、ちょうど8時頃四日市市街を通り抜けたのですが、車窓から眺める風景は、まさに雪国そのものでした。黒い雲がどんよりと空低く垂れこみ、昨夜来の粉雪が風に舞っています。家々や車の屋根にはうず高く雪が降り積もり、車のボンネットの雪は地面より積み上がった雪と一体になって車を覆い隠しています。風は吹いているのに静まり返った白い世界、犬一匹動く気配もありません。普段の朝の賑わいはどこへ行ったのでしょう。数年前の冬、東北地方の豪雪地帯を旅行したことがありますが、そこで見た雪の風景と少しも変わらないものでした。一週間経ってようやく雪はビルや家の北側の隅にわずかに残るだけとなりましたが、今年は寒い冬です。

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 冬になりますと、落葉樹は葉が落ちて幹や枝が剥き出しになります。葉の繁っている間には隠れて見えなかった枝振りが露わになるのですが、これを冬木(または冬樹)と云い、その立ち並ぶ姿を冬木立と称して、俳句の季語になっています。その樹形は桜、楓など木の種類によって異なり、それぞれ個性があってなかなか面白いものです。下の写真は ケヤキ(欅)の冬木です。箒(ほうき)を逆さまにしたような枝振りが大空に向かって扇のように美しく拡がります。右の写真は同じケヤキを紅葉の頃に撮ったものです。異なる方向からの撮影ですが、葉の繁っている頃には美しい樹形を想い浮かべるのは困難です。

 

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早朝、朝陽に映えるケヤキ。澄明な冷気の中で木肌は凛として赤味を帯び、青く澄んだ空には小さな月が残ります。

 また同じケヤキでも、暖かな陽を浴びている時は穏やかな表情を見せますが、冬の太陽を逆光に受けますと、枝や幹の黒く鋭いシルエットが緊張感を高めます。

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日向のケヤキ

 

冬の空と雲に向って扇を拡げたように真っ直ぐ伸びた幹や枝が、暖かな陽を浴びて穏やかにくつろいでいます。木肌の柔らかい色合いに心なごみます。

 

 

 

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逆光のケヤキ

 

足早に流れゆく冬の雲の合間に時々顔をのぞかせる太陽を逆光に受けますと、様相は一変します。 幹や枝の黒く鋭いシルエットが、緊張感を高めます。

 

 

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夕陽に美しいシルエットを描くユリノキ。

よく見ますと枝先には、ぶつぶつとたくさんの小さな実が付いています。

 

 


複雑に入り組んだ枝振りのシルエットがオレンジ色の夕焼けに黒く浮き上がります。

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 冬木は幹や枝が剥き出しになり、さぞかし厳しい顔をして寒さを忍んでいるものと思っていたのですが、意外と平然としています。余分なものを脱ぎ捨て本来の姿に戻ったからでしょうか、周囲の変化に振り回されず悠然とはるか彼方を見上げているようです。
 冬木を眺めていますと、偶然木の実を見つけることがあります。下の写真は、前ページで小さな粒々として映っていたユリノキの実です。たくさん実っていますが、ユリノキの花がそのまま実になったような形をしています。

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ユリノキの木の実

 

 下の写真は、同じく紅葉する街路樹として人気の高いモミジバフウ(アメリカフウ)です。フウ属の落葉高木ですが、葉の形が「もみじ」に似ていることからこの名が付きました。冬にはたくさんの丸い実が枝から垂れ下がります。

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   紅葉真っ盛りのモミジバフウ

 
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  冬になるとたくさんの実が付きました

 
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   「もみじ」のような形のモミジバフウの葉

 
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  枝から垂れ下がるモミジバフウの実

 

思わぬところで木の実を見つけた時には、童心に帰って嬉しくなります。

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     ダイヤモンドダスト

     
      冬景色

          作詞・作曲:不明

さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家

烏(からす)啼(な)きて 木に高く
人は畑(はた)に 麦を踏む
げに小春日の のどけしや
かへり咲(ざき)の 花も見ゆ

嵐吹きて 雲は落ち
時雨(しぐれ)降りて 日は暮れぬ
若(も)し灯火(ともしび)の 漏れ来(こ)ずば
それと分かじ 野辺(のべ)の里

 
 私達が小学生の頃に習った文部省歌で、1913(大正2)年に5年生用の尋常小学唱歌として発表されました。2007年(平成19年)には日本の歌百選に選ばれています。この美しい曲が作詞・作曲不明とは驚きました。一番の歌詞では、風のない快晴の冬の朝、張りつめたように澄んだ大気の中で、うっすら霜の降りた明るい港の情景が、美しいメロディに乗って歌われます。冬の日の朝の情景、あなたは何を思い浮かべますか?

 ダイヤモンドダストという気象現象があります。これは大気中の水蒸気が低温のため冷やされて氷の結晶となり、太陽の光を受けてキラキラ光るものです。その起こる要因として、よく晴れた冬の朝であること、気温が-10度以下であること、風のないこと、湿気のあることなどが挙げられ、通常北国でしか見られません。
 南木佳士(なぎけいし)(1951 )氏という医者で小説家がいます。「ダイヤモンドダスト」という小説で、1989(昭和63)年、第100回芥川賞を受賞しました。私と同年代で現役の医師であるということで興味を抱き、受賞後直ぐに読みました。主人公は地方の小さな病院に勤める男性看護師で、若くして妻を腫瘍で失くします。脳梗塞で倒れた父親の介護と、アメリカ人宣教師で肺がんの末期患者を看取ることがあらすじですが、病におかされて最期を迎える人々の生と死を、深刻ぶらず淡々とやさしく描いています。南木氏には他にも多数の作品がありますが、そのうち「阿弥陀堂だより」という小説は2002(平成14)年、小泉尭史監督により映画化されました。売れない小説家(寺尾聰)と、がん患者の死に余りにも多く直面し過ぎたためパニック障害に陥った医師の妻(樋口可南子)の物語です。夫は妻の病を治すために、自分の故郷の奥信州へ妻を連れて移ります。

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         阿弥陀堂だより

四季折々移ろいゆく信州の美しい自然とやさしい人達に囲まれ、妻の病気は徐々に回復していきます。ここでも胃がんの末期にありながら医療を拒み毅然として自分の人生を全うする夫の学校の恩師や、若くして喉の悪性腫瘍により声の出なくなった少女の、けなげに生きる姿がやさしく描かれます。 「阿弥陀堂だより」とは、阿弥陀堂を守りながら質素で明るく元気に生きる老婆(北林谷栄)の日常語る言葉を、声を失った少女が書きとどめコラムとして町の広報誌へ連載しますが、そのタイトルです。南木氏の小説では、様々な病におかされながらも、自分らしく生き、自分らしい最期を迎えようとする人々が、やさしく描かれています。人生の終盤になって本来の姿に戻った人々が、豊かな自然の中に溶け込むように暮らしている、その質実で穏やかな生き方を美しく描きます。それは葉が落ちて飾りの取れた冬木の美しさに通じるものがあるように思われます。

 さて病院の話題です。今回は桑名南医療センター病棟看護部の紹介をさせていただきます。当院の病棟はベッド数49床で、主として循環器疾患の患者さんが入院され、救急入院にも対応しています。平成27年度の入院患者の内訳は、心臓カテーテル検査729件、経皮的冠動脈形成術197件、ペースメーカー手術44件、下肢静脈瘤手術293件でした。
 緊急入院することも多い循環器疾患の患者さんやご家族は、様々な不安や疑問を感じておられます。私たち病棟看護師は、質問などにすぐ答えるなど、患者さんの不安を少しでも軽減するために、医師や薬剤師、栄養士、医療相談員などと協働しながら日々努力しています。
 

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 また循環器疾患の場合、人工呼吸器や人工透析、大動脈内バルーンパンピング術、経皮的心肺補助装置など高度な医療機器を取扱うことも多々あります。その際の処置には1分1秒を争うことが多く、緊急の場面で戸惑うことのないように、臨床工学技士と協力して自己研鑚に励んでいます。これらの医療機器は患者さんの生命を左右し兼ねないため、経験豊富なスタッフが少ない者へマンツーマンで指導や助言を行って、チームとして医療レベルの向上に努めています。
 
また当院の病棟看護師は、心臓カテーテル検査室や手術室の業務も兼務しております。 そのため患者さんが入院されてから検査や手術が行われて退院されるまで、一貫してお世話させていただくことになります。その結果、患者さんの経過や状態を統括的に把握できるようになり、患者さんに安心していただける看護につながっているものと確信しています。
 
環器疾患の患者さんには、退院後も日常生活で気を付けていただけねばならないことがたくさんあります。入院中より患者さんやご家族の方々と退院後のことについても話し合い、退院しても安心して日常生活を送っていただけるように配慮しています。
 
最近の患者さんは高齢で独居の方も多く、生活様式も多様化しています。看護師は、常に患者さんに一番近いところにいます。患者さんやご家族の皆さんの願いや思いを大切にしながら、患者さんの個別性に応じた適切な対応をとることができるように努めています。
 
私たち看護師は「看護」の知識だけでなく、医療の現況に関しても常に学ばなければなりません。これからも患者さんが真に望まれる生活を安心して送ることができるように支援させていただきたいと願っています。今後もどうぞよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

平成29年2月
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛   (文、写真)

竹田 恭子 (イラスト )

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