理事長の部屋

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1月:竹

―気が付けば至るところ竹藪ばかり、どうなる?日本の里山―

 

きれいに整備された竹林の中を真っ直ぐな道が走ります

 今年のお正月は、比較的穏やかな日が続きましたが、如何お過ごしになられましたか。お正月気分も抜け始めた1月10日(私の70歳の誕生日でしたが)、突然レスリングの吉田沙保里選手の引退発表がありました。世界大会16連覇、オリンピック3連覇、個人戦206連勝、霊長類最強の女子と云われ、2012年には国民栄誉賞を受賞しました。まさに郷土三重県の誇りであり、出身地の津市には吉田選手の名前にちなんだ「サオリ―ナ」と呼ばれる市立体育館が建設されました。引退の記者会見では、「レスリングは、やり尽くしました。思い残すことは何もありません。これからはレスリング以外のことに挑戦したいです。」とさっぱりした顔で歯切れよく話しました。「一番印象に残っているメダルは?」と聞かれ、「リオでの銀メダルです。あの時初めて、負けた人の気持ちが分かりました。」という答が返って来ました。何と爽やかで人間味にあふれる言葉でしょうか。「竹を割ったような性格」とはまさにこの人のことをいうのでしょうか。そこで、今回は竹の話です。


連なる小山はすべて竹で覆われています。広大な畑には青緑の麦の若芽が元気よく育っています

 いざ今月は竹と決め、あちこち竹林を探しながら写真を撮りに出掛けました。何となく京都の嵯峨野か、尾鷲の土井竹山まで行かないと、まとまった竹林はないのかなと思っていたのですが、あにはからんや、私達の周りには竹がいっぱいです。少し郊外へ出ますと、里山にある小高い丘や小山は竹で埋め尽くされています。今まで全く気が付きませんでした。 私の通勤電車は、津と桑名の間、伊勢平野の北半分を海岸線に沿って走ります。山側の車窓からは、沿線に住宅地が続き、その背後に竹林や竹の山が並び、さらに遥か遠くに鈴鹿の連山が望めます。特に四日市北部から桑名にかけては、竹の林や山が途切れなく続き、余りにも竹の多いことに驚かされます。知らぬ間に日本の里山は竹ばかりになっていたのです。

集落のすぐ裏には竹の山が連なります。草紅葉の赤い川堤と黄緑の麦の新芽が調和します 


ひときわ大きな竹林 竹の葉が冬の陽を浴びて柔らかく輝きます

 竹の秋という季語があります。麦秋と同じ意味です。竹は春に筍を出した後、黄葉し葉を落とします。その後すぐに若葉が出て新緑の季節を迎えます。したがって新緑の竹の葉を楽しめるのは、5月下旬から初夏にかけてということになります。そして、そのまま秋から冬にかけて美しい緑の葉を楽しめます。

冬なのに竹の葉の緑は鮮やかです

竹の花

 また竹の花が咲くと縁起が悪いと云われます。私は竹の花を見たことがありませんが、確かに竹の花は咲くそうです。 しかし100年に1度ぐらいの割でしか咲かず、花後、竹は枯れてしまいます。しかも一つの竹林や竹山でいっせいに咲き、いっせいに枯れてしまいますので、縁起が悪いと言われるようになったのでしょう。しかしこれは竹の寿命であり、自然のサイクルなのです。実際1960年代に起こった真竹のいっせい開花では、国内の真竹の1/3が枯れてしまい、竹細工の材料が不足して大きな問題になったそうです。

   竹はイネ科タケ亜科に属し、世界中の熱帯から温帯に分布します。日本には150~600種ほどの竹があると云われますが、その約75%は孟宗竹、25%ほどが真竹だそうです(面積比、ただしササは除く)。ほとんどが中国から渡来した外来種で、真竹は8世紀頃、孟宗竹は18世紀頃に日本に持ち込まれたとのことです。孟宗竹、真竹、淡竹(ハチク)の特徴を下表にまとめました。

 

 

 

若い孟宗竹

孟宗竹

孟宗竹の筍

真竹

真竹の筍

淡竹

淡竹の筍

冬の陽を浴びて若竹の葉が暖かそうに輝きます晴れた日の午後、陽の傾きかけた頃に撮影したものです。竹林が黄味を帯びて幻想的に輝き、北欧の針葉樹林のようにも 見え、 東山魁夷の日本画を彷彿とさせます。

 

 実際、竹林の中を覗いてみますと、ほとんどが上の写真のような有様です。竹が密集し、折れたリ倒れたりしているものもあり、足の踏み入れ場もありません。冒頭の写真のようにきちんと手入れされておれば竹林と言ってよいのでしょうが、これでは竹藪です。日本の里山では、ほとんどの竹林が手入れされず、放棄竹林となっているのです。このままでは日本の里山は竹藪だらけになってしまいます。そこで日本全国で竹藪の伐採作業を進める運動が展開されています。

 竹と云えば、竹取物語ですね。竹から生まれたかぐや姫、やさしいお爺さんとお婆さんに育てられ、美しく成長してやがて月へ帰って行く、誰もが知っている物語です。しかし私はこの話をちゃんとした書物で読んだことがないものですから、単なるおとぎ話なのか、それとも誰かの書いた物語なのか、詳しいことは何も知りませんでした。そこで今回きちっと読んでみることにしました。ネットで調べますと、川端康成の「現代語訳竹取物語」(新潮文庫1998年)という本がありました。私は高校時代、川端康成に傾倒した時期がありました。「伊豆の踊子」「雪国」などの代表作はもとより、「掌の小説100篇」「山の音」「古都」「千羽鶴」など主な小説はほとんど読んだと思います。研ぎ澄まされた鋭い感覚で書かれた初期作品群(新感覚派と呼ばれました)から、作家として名を成した後の小説まで、一貫して流れる日本的な情緒、自然観、死生観のようなものが好きでした。ご承知の如く、川端康成は1968(昭和43)年にノーベル文学賞を受賞します。私の大学受験浪人時代です。「川端文学にノーベル賞」、日本中を歓喜の渦に巻き込んだニュース、私にとっても嬉しかったのは当然ですが、同時に大きな驚きでもありました。同時代の作家で候補者としてノミネートされていた谷崎潤一郎や三島由紀夫であれば、受賞もあり得ると思っていました。なぜなら彼らの小説には、物語性がありストーリーの展開が面白く、読者を楽しませてくれるからです。これならば海外の人にも受け入れられるだろうと思っていました。しかし川端文学では、筋の展開は地味です。それよりも、簡潔で美しい文章および行間に漂う日本的なもの、日本人特有の感覚を感じ取らなければなりません。その微妙な機微を、風土の違う外国の人に、しかも翻訳文を介して理解して貰えるか、疑問に思っていたからです。しかしそれは私の杞憂に過ぎなかったのかも知れません。
 私は、川端康成が竹取物語を現代語訳しているのを知りませんでした。出版されたのはつい20年ほど前、彼の死後で、私が夢中になって川端文学を読んでいた頃にはまだ世に出ていませんでした。「現代語訳竹取物語」は、前半は竹取物語の現代語訳、後半はその解説で構成されます。竹取物語は、主として次の4つの話より成ります。
    1)かぐや姫の誕生から生い立ち
    2)5人の公家の求婚者との攻防
    3)かぐや姫に対する帝の恋慕
    4)月からのお迎え
 川端康成は、これらの話を平易な現代語で簡潔に訳しています。驚くほどすらすらと読めます。この中で、私が特に興味を持って読んだのは、かぐや姫と5人の求婚者達との攻防の章です。かぐや姫は、5人の公家より執拗に結婚を迫られますが、誰とも結婚する気がありません。そこで姫は「私と結婚したいなら、私のお願いする品を持参してください」と言い伝えます。それは求婚者一人ひとりに異なるもので、とても手に入れることのできない難題の品ばかりです。それでも5人は、言いつけられた品を手に入れるために、出掛けて行きます。暫くして一人が戻って来て、「お迦様の使っていた鉢を、苦労してやっと手に入れた」と差し出しますが、それが偽物であることがばれて大恥を掻きます。また龍の首輪を取るために船に乗って出掛けた者は、天罰を受けて大嵐に襲われ、ほうほうの体で逃げ帰ります。同様に他の3人も言い渡された品を持参することができず去って行きます。これら5人の公家の行動や心理が、ユーモアも織り交ぜて実に生き生きと人間的に描かれています。現代の小説を読むようです。解説の中から、川端康成の竹取物語評を引用します。
「竹取物語は、小説として、発端、事件、葛藤、結末の四つがちゃんとそろっている。そしてその結構にゆるみがないこと、描写がなかなか溌剌としていて面白いこと、ユーモアもあり悲哀もあって、また勇壮なところもあり、結末の富士の煙が今も尚昇っているというところなど、一種象徴的な美しさと永遠さと悲哀があっていい。」
 すなわち竹取物語は、れっきとした小説であると結論しています。さらに源氏物語の「絵合」の巻にも「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁に・・・」とあるように、既に紫式部の時代から最古の作品(小説)と云われていたのであろうと推測しています。竹から生まれて月(天空)へ消えていく、そのスケールの大きなファンタジー性も、他の昔話には少ないように思います。平安時代初期に男性によって書かれたと云われる竹取物語、私も単なるおとぎ話ではなく小説だと思います。まだ読まれていない人は、是非一度お読みください。

 さて病院の話題です。今回は、外国人患者さんのために医療通訳・コーディネーターとして大活躍をしている2人の職員を紹介します。三重県は、県内人口に占める外国人居住者の割合が高くて全国4位です。特にブラジル、中国、フィリピン人が多く、北勢や中勢地区に集中しています。さらに今年の4月以降は、出入国管理法(入管法)の改正により、いっそう外国人居住者の増えることが予想されます。そこで問題となるのが、外国の方が病気になった時の対応です。病院へ行っても言葉が通じず、適切な医療を受けられないことが多いのです。
   そこで当院では、2人の医療通訳・コーディネーター を配置して、外国の人達が安心して診療を受けられる ようにしています。1人は以前にも本欄で紹介しましたが、 ペルー人のカルデナス・カルラさんで、16年前に来日しました。母国語はスペイン語で、ポルトガル語、英語、日本語にも堪能です。平成26年4月より本院で勤務し、現在は常勤職員として忙しい毎日を過ごしています。もう一人は加藤シルレイさんで、約2年前より勤務し主にブラジル人を対象にポルトガル語の通訳を担当して貰っています。彼女達の業務は、実に多岐にわたります。まず通訳として、総合受付における諸手続きや会計内容の説明、外来診療、内視鏡検査、カテーテル検査などにおける付き添いと説明、手術の同意書や入院指導などの説明、電話予約などがあります。また事務的な業務として、通訳データや予約票の入力、同意書や診断書などの翻訳などもあります。

カルラさん(左)とシルレイさん(右)

      表1)過去6年間の医療通訳対応件数                                        表2)最近5か月間の医療通訳人数                                                                     (過去4年間のデータとの比較)

 表1には、過去6年間に医療通訳を行った件数の推移を示します。件数は年を追うごとに増え、最近では年間3000件近くにも達しています。表2は、新病院が本格的に稼働を開始した昨年6月から10月までに医療通訳を行った患者数を示します。月ごとの患者数を過去4年間の数と比較したものですが、いずれの月においても、今年度の患者数が最も多いことが分かります。これらの数字は、県内の他の医療機関と比較しても、いずれも群を抜いて多くなっています。さらにこの12月からは、6階病棟で看護助手として働いているベトナム人のグエンさんを、医療通訳として養成して貰っています。
 私も2年間のアメリカ留学中には、いろいろな人にお世話になりました。アメリカの人達は、言葉の不自由な私達を常に暖かく迎えてくれました。私達日本人も国際社会の一員として外国の人達が少しでも不自由なく日本で暮らせるように協力しなければなりません。 
 カルラさんとシルレイさん、さらにグエンさんのますますの活躍を期待しています。

                                                                                      平成31年1月
                    桑名市総合医療センター理事長     竹田 寛 (文、写真)
                                       竹田 恭子(イラスト)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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