理事長の部屋

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2月:なずな(ぺんぺん草)

―早春の野を彩る 名も無い花たち その一瞬の輝き―

満開の白い「なずな」と根元を飾る桃色の「ほとけのざ」。遠くの野の色も春めいて来ました。

 この2月から3月にかけてコロナを取り巻く状況は、大きく変化しました。ワクチンの接種が始まり、変異型ウイルスも日本に入って来て、局面はより複雑化しています。あれだけ猛威を奮った第3波も全国的に鎮静化し、31日には6府県で緊急事態宣言が解除されました。首都圏では下げ止まり状態が続き、緊急事態宣言は継続されましたが、それも321日には解除されることになりました。再拡大の懸念は残されたままですが、一応全国的に緊急事態宣言が解除され、「やれやれ」と思った矢先、逆に宮城県からは独自の緊急事態宣言が発令されました。いつ第4波が起こるかも知れない不穏な状況が続きますが、その裏で見え隠れするのが変異ウイルスです。イギリスなどで発見され、強い感染力により世界中に拡がり日本へも入って来ました。一方、医療従事者を対象としたワクチン接種も開始されました。この二つの因子が、今後のコロナ感染の動向に大きな影響を及ぼすことは間違いなく、今回はこの二つに絞って最新情報を拾ってみました。今やネットやマスコミでは雑多な情報が飛び交っていて、どれが正しいのか分からなくなっています。そこで厚労省とか有名な医学分野の学術雑誌など、発信源や出典の信頼できる情報だけを集めました。

1)日本におけるワクチン接種の状況と副反応は?   
 日本では2月から医療従事者を対象にファイザー社ワクチンの接種が始まりました。厚労省の発表によれば、319日現在55万人を超える人が1回目の接種を終え、2回接種を受けた人も25千人を超えました。気になるのは副反応ですが、厚労省の調査会の報告では、311日までにアナフィラキシーとして報告を受けたのは17例で、いずれも女性でした。その中で、アナフィラキシーで最も重症なブライトン分類1に相当する症状を呈したのは2例で、うち1人は喘息をお持ちでしたが、いずれも適切な治療により治癒したそうです。もちろん他の人たちも皆軽快しています。
 私たちの病院でも、311日に接種が始まり私も真っ先に受けました。接種時の痛みは、注射針が入っているかどうかも分からないほど気になりませんでした。翌日、腕を動かす際に軽い疼痛を覚えましたが、23日で消失しました。当院では319日現在、全職員の約1/3にあたる340人の医療従事者が接種を受けましたが、今のところ副反応の報告はまったくありません。

2)ファイザー社ワクチンの効果は?
 ワクチンの効果を知るためには、世界で最も接種の進んでいるイスラエルのデータを見るべきでしょう。イスラエルでは、ファイザー社のワクチンが接種されていますが、人口の半数を超える約510万人が1回目の接種を終え、2回終わった人も420万人を超えたそうです。接種済と未接種のそれぞれ約60万人分の結果を比較しますと、発症防止効果は94%、重症化防止効果は92%で、臨床治験の結果とほぼ同一だったそうです。

3)日本での変異型コロナウイルスの感染者数は?
 今、日本で確認されている変異ウイルスは、イギリス、南アフリカ、ブラジルなどで発見されたものです。厚労省の発表によりますと、316日現在、変異ウイルス感染患者は26都道府県で計399人(英国型374人、南アフリカ8人、ブラジル17人)となっています。都道府県別では、兵庫94人(英国型)、大阪72人(同)、埼玉57人(英国型42人、ブラジル15人)などに多く、東京では14人(英国型)と非常に少ないのですが、これは英国型の変異ウイルスが関西を中心に拡がっているからでしょうか。

4)変異ウイルスは死亡率を増加させるか?
 変異ウイルスはいずれも、従来のウイルスに比べ感染力が2倍前後高くなっていることは知られていますが、同様に死亡率も高いのでしょうか。気になるところです。イギリスの有名な医学雑誌に、「英国型変異ウイルスは、従来のコロナウイルスに比べ死亡率が1.7倍高くなる」というショッキングな報告が発表されました。現在、日本で最も多い英国型の変異ウイルス、このまま増え続けますと大変なことになります。その他の変異ウイルスに関しましては、まだはっきりした報告はないようです。

5)ワクチンは新型ウイルスにも有効か?  
 実験室での段階ですが、ファイザー社のワクチンは、英国型およびブラジル型の変異ウイルスに対して、従来のウイルスと同程度に有効であると報告されています。南アフリカ型変異種に対する有効性も少し低下しますが、十分の効果は期待できるとのことです。

 変異ウイルスは感染力だけでなく死亡率も高めるようです。ブラジルで新規感染者も死亡者も急増していることを考えますと、ブラジル型変異ウイルスは如何にも不気味です。できるだけかからないようにするのが一番で、そのために今まで通りマスク着用、手洗い励行、三密の回避を厳守しなければなりません。と同時にワクチンを受けるべきです。英国型だけでなくブラジル型、南アフリカ型の変異ウイルスにも効果が期待できるそうですから。
 一日も早く国民すべてのワクチン接種が終わりますことを心より願っております。

 

 さて今月の花は、ナズナ(なずな)です。アブラナ科ナズナ属の野草「なずな」は、春先日本全国の野原や道端など、どこでもみられます。春の七草のひとつで、子供の頃、「せり、なずな、おぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草!」と覚えました。食用にもなり、薬草としても古くから利用されて来ました。

 

 

 「なずな」は長くて硬そうな茎の先端に小さな白い花が集まって咲き、茎からは先端に三角形の小さな「うちわ」のようなものを付けた長い柄が四方八方に拡がります。私にとって「なずな」のイメージは、何となく乾燥した硬いもので、野菜のようなみずみずしさはなく、いったいどこを食べるのかと思っていました。

 

 

 右の写真は、まだ茎が出たばかりの若い「なずな」ですが、根元にはギザギザの葉が地面を這うように四方に拡がっています。これが冬を越して来たロゼットと呼ばれる根生葉で、この部分と若い芽を食べるそうで、それなら納得できます。

 

 葉も美味しいのですが、根はさらに美味しく良い出汁も出るそうで、江戸時代初期までは野菜として畑で大切に栽培されていたそうです。昔の人たちにとっては冬場の貴重な野菜であり、感謝を込めて撫でたくなる「撫で菜」が転じて「なずな」になったとか、あるいは早春に咲いて夏には枯れて無くなるため「夏無き菜」が「夏無」「なずな」に変化したとも云われます。それほどまで生活には欠かせない大切な野菜であった「なずな」ですが、現在では畑から追い出され、畔や野原に蔓延る雑草として刈り取られてしまいます。時代の変遷とは云え、何とも気の毒な話ではないでしょうか。

 「なずな」は、茎の先端部に径34mm大の小さな花が集まって咲きます。白い花弁が4枚、萼片も4枚、アブラナ科の特徴である十字形となっていて、中に6本の「おしべ」と1本の「めしべ」があります。「なずな」の花を上から見ますと、外側の花から順に開いて果実を成長させていきます。中心部は未だ蕾です。

 
花が開き「おしべ」と「めしべ」が見えますが、どれがどれか見分けは困難です。真ん中にあるのが「めしべ」でしょうか。

 

ハート型の果実が剥き出しになっています。

 

 

 「なずな」の果実は三味線のバチのような形をしていますので、ぺんぺん草とも三味線草とも云われます。

 

 

 
子供の頃、果実の柄を下へ引っ張って垂らし、茎を回しては「でんでん太鼓」のようにして遊びました。

 

でんでん太鼓

 

若い「なずな」。背景の樹の緑に鮮やかに映えます。


おぼろげな木立に、おぼろげに白く咲く「なずな」の花


白いお墓に、なぜかしらくっきり馴染みます。

のっぽの「なずな」に寄り添う「ほとけのざ」

 

 

白い「なずな」の花の根元には、ピンクの花「ほとけのざ」がよく咲いています。この二つの花が一緒に群になって咲いているのを、野原や道端のあちこちで見かけます。よほど相性が良いのでしょう。
 

 私は最近YouTubeの動画で、異種の動物どうしの愛情物語をよく見ます。例えば、母親を亡くしたライオンの赤ちゃんが、犬のお母さんに育てられますと、ずっと親子になります。ライオンが生長してお母さんよりも体が大きくなっても、ライオンの子供はお母さんに甘えて仲睦まじく暮らします。他にも猫と犬、熊と虎など、驚くような組み合わせがあります。動物では、たとえ種が違っても子どもの頃に一緒に暮らしますと、一生家族になるそうです。野原や道端のあちこちで、背の高い白い「なずな」の根元で、寄り添うように咲く「ほとけのざ」を見ていますと、そんな動物物語を思い浮かべ、微笑ましくなります。

 

 

 

 2月、陽の光は明るさを増してもまだ寒い頃、真っ先に咲き出すのも、この「なずな」と「ほとけのざ」です。そしてもう一つ、「オオイヌノフグリ」です。この三つの花がいち早く早春の野を明るくしますが、やがて季節が進み暖かくなりますと、野原は色とりどりの花盛りとなります。

オオイヌノフグリ


 野に咲く花の群、色とりどりのこともあり、一色に拡がることもあります。どこにもある風景ですが、その表情は光や風、空気などにより刻々と変化します。そして、ある瞬間、閃光のように美しく輝きます。印象派の画家たちは、明るい太陽の下、戸外へ出てその美しい光景を、見えるまま自分の感覚に忠実に描きました。歴史的な彼らの第1回印象派展がパリで開催されたのは、1874415日から515日までの1か月間です。当時はまだ印象派という呼称がなかったものですから、展覧会の名称は「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」でした。それまでフランスにおいては、フランス美術アカデミーの主催するサロン(官展)が、数少ない一般市民向けの展覧会でした。そこでは、形式を重んじる古典主義絵画が絶対で、それに反する絵画はことごとく落選となりました。それに不満を持った芸術家たち、後に印象派と呼ばれる若い画家たちが集まり、自ら展覧会を開いたのです。30名の画家が165作品を展示しました。主な出品者には、クロード・モネ(1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)、アルフレッド・シスレー(1839-1899)、カミーユ・ピサロ(1830-1903)、ポール・セザンヌ(1839-1906)、エドガー・ドガ(1834-1917)、ベルト・モリゾ(1841-1895)など印象派の黎明期を支えた画家たちばかりでした。

 モネは9点の絵画を出展しましたが、その中に有名な「印象:日の出」があります。展覧会の前年モネがル・アーブルの町に滞在した時、港の夜明けの風景を一気に描いたと云われています。デッサンに色付けしただけのようなこの絵に対し、当時の風刺新聞は「絵は稚拙で、『印象』という題名も滑稽である」と酷評します。しかし同志の画家たちはその題名を受け入れ、「印象派」と言う名称が誕生します。

 

モネ 印象:日の出 1873年 マルモッタン 美術館蔵

モネ ひなげし 1873年 オルセー美術館蔵

 もう一点、モネが出展した風景画に「ひなげし」があります。画面の上半分には白い雲の浮かぶ大きな青空が描かれ、下半分にひなげしの赤い花が咲き乱れる野原と、そこにたたずむ母と子が描かれています。戸外へ出て、明るい光と大気の下、日常の何気ないひとこまを鮮やかな色彩で描写する、モネがめざした印象派絵画です。母親はモネの妻カミーユ、子どもは息子のジャンだそうで、カミーユは数年後に病死したそうです。

 

モネ アルジャントゥイユの野原 1875年  ボストン美術館蔵

 第1回印象派展で酷評され、揶揄と非難にさらされたモネら印象派の画家たちですが、構わず制作を続けます。モネは2年後に開かれた第2回印象派展に「アルジャントゥイユの野原」を出品します。画調はさらに明るく色鮮やかになり、大きな青空と白い雲、桃や白の花の咲き乱れる野原、たたずむ一人の女性、誰もが見たことのある夏の日の光景、これこそ印象派絵画の真髄と云えるでしょう。

 

 
 右の絵は、第1回印象派展が開かれてから30数年後、オーストリアの画家グスタフ・クリムト(1862-1918年)によって描かれた「ひなげしの野」です。日本の俵屋宗達や尾形光琳などの琳派や浮世絵の影響を強く受けた平面的な構図に、金箔などを用いた装飾的な画法で、女性美と官能美を華麗に描き続けた画家に、こんな風景画があるとは知りませんでした。緑の濃淡の背景に赤と黄色の大小の点が無数に散りばめられ、平面的な構図でありながら不思議な奥行を感じます。ウイーン分離派を結成して古典的絵画からの脱却を目指したクリムトは、フランスの印象派画家たちとは異なった画法でそれを実現したのです。 

クリムト ひなげしの野 1907年  ベルヴェデーレ宮殿オーストリアギャラリー蔵

 誰もが心に留めておきたい夏の日の野の光景、モネら印象派の画家たちは見えるままに、クリムトは装飾的に描き、そのまま残りました。

(掲載しました絵画は、それぞれ所蔵する美術館のホームページよりダウンロードしました。)

              

                         令和3321

               桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛 (文、写真) 
                              竹田 恭子(イラスト)

 

 

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