理事長の部屋

理事長の部屋

5月:白つめくさ

― つめくさの灯りをたどって行けば、ポラーノ広場の夏祭り ―

白つめくさの花が「ぼんぼり」のように浮かび、みんなこっちを見ているようです。

 全国各地で65歳以上の高齢者を対象とした新型コロナワクチンの接種が急ピッチで進んでいます。三重県内においても、どこの病院や診療所においても結構忙しく接種が行われ、津市、四日市市、伊勢市では大規模接種が始まります。私の周囲にいる高齢者の方々も、多くは接種を済ませました。県としても7月中には高齢者の接種を終えられるとのことです。ところが先日、三重県の高齢者ワクチン接種率は、全国の都道府県で最下位という報道がなされました(5月末時点)。「ええーッ!? これだけたくさんやっているのに・・・」というのが正直私たち接種する側の感想でした。しかしこれは一部の地域でのデータ集計が遅れたためで、その後集計が揃い、65日時点におけるワクチン接種完了者(2回接種済)は、1位が和歌山の9.26%、三重は2.05%29位に改められました(NHK調べ)。順位はさておき、接種率はまだまだ2%台です。さらに県民のワクチン接種に拍車をかけねばなりません。

 今回はワクチン接種の効果を調べるために、ワクチン先進国のイスラエルと英国、それと日本における最近の感染者数、死者数を比較してみました。日本経済新聞社の「チャートで見るコロナワクチン世界の接種状況は」によりますと、63日現在人口100人当たりのワクチン接種完了者は、イスラエル56.71人、英国38.58人、日本3.00人となっています。

イスラエル、英国、日本における人口100万人あたりの新型コロナウイルス感染者数(図1左)と死者数(図2右)の推移。(1週間の平均数)(Our World in Dataより引用)

 図1と2には、これら3国における人口100万人当たりの新規感染者数と死亡者数の推移を示します。325日以降のデータですが、ワクチン接種完了率が60%に近いイスラエルでは感染者数、死者数とも著明に低くなっています。また接種完了率40%弱の英国では、死亡者はイスラエルと同等に少ないのですが、感染者数は一度減少した後5月後半に再び上昇しています。これには規制緩和、感染力の強いインド変異株のまん延、若年者におけるワクチン接種率など様々な因子が関連しているものと思われます。 一方日本では感染者は減少しているものの、死亡者は他の2国に比べ格段に多いことが分かります。
 ワクチン接種完了率が70%程度になりますと、コロナウイルスに対する集団免疫が成立して感染が収束すると言われます。イスラエルではほぼその域に達したと言えるのでしょう。一方英国でも、接種完了者はイスラエルに及ばないものの、1回接種した人は70%を超えています。ワクチン1回接種でも有効性は認められており、その効果により感染者が増加しても重症化したり死亡する人が増えていないとも考えられます。しかしさらにワクチン接種完了者が増えないと、感染を収束させることはできないのかも知れません。

 日本における最近の接種状況をみていますと、そう遠くないうちに英国のレベルに近づけるものと期待されます。ワクチンは、インド変異株などに対しても効果があります。とにかく一日も早くワクチンを接種することです。それに尽きます。

 

 さて今月の花は、クローバー、すなわち白つめくさ(白詰草)です。ヨーロッパ原産のマメ科シャジクソウ属の植物で、牧草として世界中に拡がり、日本でも全国に分布しています。昔オランダからガラス器などを輸入する際、乾燥したクローバーを緩衝材として詰めて梱包したため、詰草と呼ばれるようになりました。葉は通常3枚(3小葉)ですが、稀に4枚のものがあり、幸せを呼ぶ「4つ葉のクローバー」として、子どもの頃探された方も多いと思います。その成因として突然変異説と葉の原基の受傷説があります。左下の写真は、私がいつも自転車で走る小道の端で、たまたま見つけた四つ葉のクローバーです。人通りは結構あり、靴で踏みつけられて受傷したため生じた可能性があります。ちなみに、ギネスのホームページには、2009年花巻市の小原繁男氏により報告された56枚の小葉を持つクローバーが世界記録として認定されています(写真右下)。

四つ葉のクローバー(少々くたびれていますが・・・)

56枚の小葉を持つクローバーの葉 (ギネス・ホームページより引用)

白つめくさの小さな花は、蝶形花冠と呼ばれるマメ科独特の形をしています。長い柄の先端に、3080個ほどの花が球状の花序を作って咲きます。

白つめくさの花とその拡大図。右のイラストは、同じくマメ科の萩の花の蝶形花冠。左右の舟弁で挟まれた腔に「おしべ」と「めしべ」が入っています。

 白つめくさはシャジクソウ属ですが、この仲間は世界中に260種ほどあると言われます。そのうちのひとつ、小さな黄色の花をした黄色つめくさ(コメツブツメクサ)が、白つめくさと一緒に咲いているのをよく見かけます。

白つめくさと黄色つめくさの花の大きさの比較

小さな黄色つめくさの花の形も蝶形花冠です。

 
 シャジクソウ属の花の特徴は、受粉の済んだ花から順に下向きに垂れ、落ちないことです。

白つめくさの花の移り変わり。中央は咲き始めの頃、右は一部の花で受粉が終わり垂れています。左では半分以上の花が受粉を終え下垂しています(偶然3個並んでいるところを撮影しました)。


黄色つめくさの花の移り変わり。右に行くにつれ受粉した花が増えて行きます。


初夏の山を背景に咲く白つめくさと黄色つめくさの花の群


白つめくさのぼんぼん達の頭が並んでいます。初夏の里山と、その水田(みずた)に映る姿を眺めているのでしょうか。


里山の土手に咲く白つめくさの花の群


畔いっぱいに咲く白つめくさの花


白つめ草の咲く畔、水田の早苗の緑、白い道路標識とその向こうの麦秋、はるか彼方には初夏の山並が蒼く拡がります。

 

  さて久々に宮澤賢治(1896-1933年)の登場です。賢治の書いた「ポラーノの広場」という比較的長い童話があります。白つめくさの花の灯りをたどって夏祭りで賑わうポラーノ広場へ行く話です。あらすじは次の通りです。

 昔、モリーオ市郊外の野原に、ポラーノの広場という伝説の場所がありました。夏の宵には祭りが開かれ、誰もが歌って踊って楽しんだそうです。そのポラーノの広場が復活したと聞いて、初夏のある晩、博物局へ勤めるキューストは、ファゼーロ少年と羊飼いのミーロの3人で探しに出掛けます。​​

​​

 

 陽のとっぷり暮れた野原はあまりにも広すぎて、広場がどこにあるか見当もつきません。草むらの暗闇にはあちこちに「しろつめくさ」の花がぼんやり光っています。言い伝えでは、その花の灯りをたどって行けば広場に着くことになっています。よく見ますと、花には一つひとつ番号が書かれていて、それを順にたどって5千になったら広場に到着するということです。しかしその晩は3千あたりで時間が過ぎて帰らなければならなくなりました。「確かに音楽が遠くに聞こえているのに・・・」、そう思いながら3人はしぶしぶ引き返します。

ポラーノの広場

 それから5日経った夜、彼らはとうとうポラーノ広場にたどり着きます。しかしそこでは、山猫博士というあだ名の県会議員が、選挙運動のために開いたパーティが行われていました。楽隊が音楽を奏で、参加者による歌合戦が行われています。すっかり酔っぱらった山猫博士がファゼーロと歌合戦をして喧嘩となり食卓ナイフで決闘をします。お互い大した怪我もなく分かれますが、その後ファゼーロが行方不明となります。逆上した山猫博士がファゼーロを殺したのではないかという噂も立って警察沙汰となり、山猫博士も行方をくらまします。

 そのまま8月となり、キューストは出張帰りに立ち寄ったセンダード市の路上で偶然、山猫博士に出会います。彼は工場の経営に失敗して隠遁生活をしており、憔悴した様子でした。あの決闘の夜もヤケ酒を飲み過ぎて騒ぎを起こしただけで、ファゼーロの失踪には関わっていないと打ち明けます。

 9月に入って突然ファゼーロが帰って来ます。センダード市の革染め工場で働いていたとのことで、山猫博士の残して行った工場で、若いみんなの力を結集して、いろいろな物を生産し理想的な産業組合を作ろう、そして県会議員のパーティではない、誰もが平等に楽しめる、ほんとうのポラーノの広場を作るのだと夢を語ります。

 それから3年、工場は順調に稼働し、ハム、皮類、醋酸(さくさん)、オートミールなどの生産品は、広く出荷されるようになりました。その後キューストは博物局を辞めて大都会のトキーオで働きますが、ある日、手紙が届きます。そこにはファゼーロが野原でよく口笛で吹いていた調子の楽譜が「ポラーノの広場のうた」と題されて印刷されていました。
(モリーオ市は盛岡市、センダード市は仙台市、トキーオは東京をもじったものです)

 白つめくさ、クローバーと言えば、誰もが昼のイメージを想いうかべると思います。明るく輝く太陽の下、クローバーの白い花が一面に咲く広い草原、その上で楽しく遊ぶ人達、遠くにアルプスの山々が聳えていれば、まさに「サウンド・オブ・ミュージック」の世界です。しかし賢治は夜のイメージを持って来ました。賢治は夜、野原や森の中を散策するのが好きで、朝まで帰らないこともしばしばあったそうです。夜、鬱蒼とした自然の中を歩きながら、静謐な野や森の気配を感じ、かすかな虫や鳥の声に耳を傾け、ぼんやり光る花や木を眺める、星月夜も闇夜もあったことでしょう、遠くには街の灯りが見え、音もなく花火の上がったことも・・・。その経験があったからこそ、暗闇の中でぼんやり光る白つめくさのイメージが湧き、この童話が誕生したのでしょう。

 この童話で、最後に若者たちは理想の産業組合を作ろうとします。賢治は29歳の時、羅須地人協会を設立して、貧しい農民のために新しい農業や肥料についての講習会を開き、レコードコンサートを開催し、音楽楽団まで結成して練習を始めます。農民が貧困から脱出するためには、農産物を協同で生産、販売し、文化も一緒に享受する、まさにファゼーロらの産業組合であり、ポラーノの広場なのです。

 つい先週529()の朝日新聞「はじまりを歩く」に「協同組合の夢」と題して童話「ポラーノの広場」が取り上げられました。賢治の生まれた1896年に起こった明治三陸津波では2万人を超える死者が出るなど、厳しい気候に加えて相次ぐ自然災害に、東北地方の農民は幾度となく飢饉を経験しました。その惨状に遭遇した賢治は羅須知人協会を立ち上げ、遠野物語の著者柳田国男(1875-1962)は、農商務省に入って産業組合の設立に努めます。東日本大震災後、それを受け継ぐように幾つかの協同組合が始まりました。陸前高田市のNPO法人「SET」のメンバーは「ぴいろた組合」を立ち上げ、地元の生産者から野菜を買い付けて組合員に分配しています。宮古市の「みやこ映画生協」は、スーパーの2階に組合員の出資による映画館を作り、震災で辛い思いをしている人達を慰めます。キーワードは「顔の見える循環(協同組合) 一人じゃない」です。

 さて童話に戻ります。「ポラーノ広場」の歌合戦で、山猫博士は次のように歌い出します。

「今度は吾輩うたって見せよう。こら楽隊、In the good summer time をやれ。」楽隊の人たちは何べんもこの節をやったと見えてすぐいっしょにはじめました。山猫博士は案外うまく歌いだしました。

 

           つめくさの花の 咲く晩に
   ポランの広場の 夏まつり
   ポランの広場の 夏のまつり
   酒を呑まずに  水を呑む
   そんなやつらが でかけて来ると
   ポランの広場も 朝になる
   ポランの広場も 白ぱっくれる。

(広場の名前がポランとなっていますが、この童話の先駆作品として「ポランの広場」があり、そこで登場した歌詞がそのまま使われたためと思われます。

 この中で‘In the good summer time’とは、1902年にアメリカで作られ当時大ヒットした‘In the good old summertime’という曲のことです。明るく楽しいリズミカルな曲で、アメリカ民衆の歌とでもいうのでしょうか、陽気なアメリカの人達に好まれそうな親しみやすい旋律の名曲です。東北でも無類のレコード収集家であった賢治にとって、恐らく愛唱歌だったのでしょう。つめくさの花の歌はこの曲の旋律に合わせて歌うようになっています。
 1949年、同名のアメリカ映画が製作されました。監督ロバート Z. レナード、出演ジュディ・ガーランド、ヴァン・ジョンソンらです。文通を通じて愛し合うようになった二人、しかし手紙だけの交際ですから、お互い相手がどんな顔をしているのかさえ分かりません。最後の最後になって、二人は同じ職場で働き、いつも喧嘩ばかりしている上司と女性職員だったことが判明し、ハッピーエンドに終わります。昔懐かしい文通を介して芽生えた恋、スマホ時代では考えられないことです。今回初めてDVDで観て、久し振りに古き良き時代のアメリカ映画の楽しさを満喫しました。機会がありましたら是非ご覧ください。 

                             令和366

              桑名市総合医療センター理事長  竹田  寛 (文、写真)
                              竹田 恭子(イラスト)

 

 

 

 

 

バックナンバー