理事長の部屋

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9月:夏の白ゆり

―夏の終わり、移ろいゆく光の中で・・・―

晩夏の光の中、清楚に咲く白ゆり

  今年の9月は、曇や雨の日が多かったように思います。しかも中旬まで残暑が厳しく、いつもの年ならば彼岸の中日には必ず咲いている彼岸花も、9月も末になってようやく里山を赤く彩りました。それにもう一つ、今年は台風の上陸がありません。上陸とは台風の中心が北海道、本州、四国、九州の海岸線に達した場合を云い、台風の中心が国内のいずれかの気象官署から300km以内に入った場合を接近と云うそうです。今年は9月末の時点で13個の台風が発生し5個接近しましたが、上陸したものはありません。9月まで台風の上陸がなかったのは2009年以来11年ぶりのことで、その年には108日になって初めて台風18号が愛知県知多半島に上陸したそうです。今年の台風14号も、日本に近づくにつれ東寄りのコースをとり、あわや東海や関東地方に上陸かと心配されましたが、南の方へそれて行きました。今年は東海地方への台風の上陸はないかも知れません。
 さて新型コロナ感染です。7月、8月と全国的に感染拡大をもたらした第2波も、9月に入って鎮静化しました。しかし三重県では鈴鹿市の病院や四日市の介護施設でクラスターが発生し緊張した状況が続きましたが、それも10月に入りようやく落ち着きました。

表1 新型コロナウイルス感染症における感染者数と死者数(2020年10月5日現在、WHOの統計より)

 ところで929日、世界の新型コロナ感染による死亡者は100万人を超えたという報道がありました。9か月で100万人、感染症のなかで最も死者の多い結核の年150  万人に迫る勢いだそうです。世界で死者の多い国は、米国、インド、ブラジル、メキシコ、英国の順で、それらの国とアジア4か国における感染者数と死亡者数の一覧を表1に示します。感染者数に関しましては、PCR検査を簡単に受けられる国とそうでない国との違いなど、各国においてPCR検査の施行状況が異なりますので、一概に比べることはできません。一方、死者数はPCR陽性で死亡した人の数ですので、国ごとによる差は少ないと考えられ比較可能と思われます。  

表2 新型コロナウイルス感染症における人口百万人あたりの死者数(2020年10月9日現在、札幌医大フロンティア研のホームページより引用)

 表2は、世界で死者の多い国とアジア3国の人口百万人当たりの死者数を比較したものですが、世界の国々に比べアジア3国では桁違いに死者数の少ないことが分かります。
 なぜ、これだけの差があるのでしょうか。国民性や生活習慣の違いでしょうか。アジアの国々では、国民の誰もがマスクや手洗いの励行、三密を避けるなどの予防策を几帳面に守っていることが良いと云われます。ことに日本では家の中で靴を脱ぐことで清潔が保たれ、感染防止につながっているとも云われています。しかしそれだけでは説明がつかないほど、数字には大きな隔たりがあります。この謎を解き明かすのに、京都大学の上久保先生らは「集団免疫獲得説」を唱えていますが、なかなか興味深い理論ですので、後半にその解説を致します。

 さて8月も半ばを過ぎる頃になりますと、高速道路などの「のり面」に純白のゆりの花が群がって咲いているのをよく見かけます。我が家の狭い庭にも、いつ種が飛んで来たのでしょうか、毎年、白いゆりの花がぽつぽつと咲くようになりました。そこで今月は、桜、菊などと並んで日本人になじみの深い白ゆりです。ユリには、ヤマユリ(山ゆり)オニユリ(鬼ゆり)、テッポウユリ(鉄砲ゆり)、カノコユリ、ササユリ(笹ゆり)など、実にたくさんの品種があります。なかでも香りの素晴らしいのは山ゆりです。こんな思い出があります。 
 父が林業を営んでいましたので、私は4歳頃まで三重県美杉村の小さな山村に住んでいました。ある夏の日、朝寝坊した私は慌てて飛び起き、母を探しました。陽はすっかり高くなり、夏の明るい光が窓から差し込んで廊下にこぼれています。どこからともなく甘い香りが漂っています。戸外の明るさとは対照的に、薄暗い家の中をあちこち探し回りましたが、母はどこにもいません。  買物にでも出掛けたのでしょうか、家の中はガランとして、ただほのかに甘い香りが漂っているだけです。心細くなって来ました。

 普段は余り使っていない来客用の洋間があり、入りますとびっくりしました。強烈な甘い香りで溢れているのです。家中に漂う甘い香りはこの部屋から出ていたのです。その日の朝、母が山から採って来た山ゆりを花瓶に活けていたのでした。初めて経験する何とも言えない甘い香り、子ども心にも驚きでした。夏の日の静かな朝、山ゆりの甘い香りと母のいないことの心もとなさとが混ざり合って、遠い幼い記憶となって残っています。 

 今回の主役は高砂ゆりと新鉄砲ゆりですが、いずれも鉄砲ゆりの仲間です。鉄砲ゆりは、私たちが昔から純白のゆりとして親しんで来たもので、九州から沖縄に自生する在来種です。冠婚葬祭には欠かせませんね。一方、高砂ゆりは台湾を原産とする外来種、新鉄砲ゆりは鉄砲ゆりと高砂ゆりの交配により作られた品種です。三者の違いを表3にまとめました。

                          表3 白ゆり3種の比較

 まず花の咲く時期ですが、鉄砲ゆりは初夏、高砂ゆりと新鉄砲ゆりはお盆の頃です。葉の形は、鉄砲ゆりでは幅広く大きいのに対し、他の2種では細く小さいのが特徴です。花の形は、いずれも白く細長いラッパ型ですが、高砂ゆりにだけ外側に赤紫色の帯が入ります。  鉄砲ゆりは、球根でしか増殖できず花の咲くのに3年かかると云われます。一方、高砂ゆりや新鉄砲ゆりは、球根だけでなく種でも増えますので、もの凄い勢いで増殖し野生化しています。余りにも増え過ぎて生態系を破壊しますので、最近では駆除対象になっているそうです。美しい花なのに、もったいないことです。 

高砂ゆり(外面に赤紫の帯が入ります)

新鉄砲ゆり(外面は真っ白です)

  それでは夏の終わり、移ろいゆく陽の光を惜しむように咲く白ゆりをご覧ください。

夏の雲の下、それぞれ何を想っているのでしょうか。


陽の傾きかけた午後、日蔭に咲く白ゆりの花。日向の光景に懐かしいものを感じます。


昼なのに背景は真っ暗。つぼみも優雅なのが白ゆりです。


何時の間にか我が家の裏庭に咲くようになった新鉄砲ゆりの群。ところどころの花が、陽に透けて白く輝きます。


夕暮時、美しいシルエットを背景に、しゃきっと咲く新鉄砲ゆり

夏の終わり、緑の光の中で清楚に咲く白ゆり(上:新鉄砲ゆり、下:高砂ゆり)

 さて話は白から黒に変わり、黒ゆりの話です。黒ゆりはユリ科の植物ですが、他のゆりのようにユリ属ではなくバイモ属です。バイモの仲間なのですね。北海道に咲くものをエゾクロユリ、本州や北海道の高山に咲くものをミヤマクロユリとも呼びます。

 黒ゆりにまつわる伝説があります。一つは、北海道のアイヌ民族に伝わる話で、好きな人の側に黒ゆりの花をそっと置いて、その人が花を手にすれば二人は結ばれるというものです。この伝説をもとにして、菊田一夫作詞、古関裕而作曲により誕生したのが、「黒ゆりの花」の歌です。
黒百合は恋の花 愛する人に捧げれば 二人はいつかは結びつく・・・・
戦後大ヒットした映画「君の名は」第2部の主題歌として織井茂子が声高らかに歌いました。ラジオドラマにもなりましたが、絶大な人気を博し、放送時間中は銭湯が空になったと云われるほどでした。私たちより一世代前の人たちには、懐かしい思い出でしょう。

黒ゆりの花

 もう一つは富山県に伝わる黒百合伝説で、戦国時代の話です。1583(天正11)年、越中国主となった佐々成政(?~1588年)は、翌年の1月、徳川家康と豊臣秀吉討伐の密談をするため浜松へ向かいます。厳寒の積雪期に、家臣らを引き連れ立山連峰や後立山連峰などの北アルプスを踏破し、大町を経て1か月かけて浜松に到着しました。途中でザラ峠を越えたため「さらさら越え」と呼ばれる大行軍は、冬山集団登山としてわが国の登山史上に残る壮挙であったと云われます。

 成政には、早百合姫と言う美しい側室がいましたが、浜松から帰りますと、早百合姫が密通し、お腹には成政の子ではない子供を孕んでいるという噂が流れていました。それを聞いた成政は激怒し、早百合姫の黒髪をつかんで引きずり走り、榎の枝に逆さ吊りにして、めった斬りにしたと云われています。早百合姫は断末魔の苦しみの中で「私は無実です。私の恨みで立山に黒百合が咲いたら佐々家は滅びます」と呪って息絶えました。やがて立山に黒ゆりが咲き、成政はこの珍しい花を秀吉の正室おね(北政所)に献上しますが、この花がもとでおねと側室、淀との仲がこじれ、成政は切腹させられます。佐々成政の伝記に詳しい作家、遠藤和子氏によりますと、これは実話ではなく佐々成政のあと越中領主となった前田家が、評判のよい前領主を暴君に仕立て上げるためにでっち上げた作り話だそうです。成政は民衆思いの名君で、神通川など数々の河川の治水事業を行い民衆から慕われていました。早百合姫を処刑したのも、悪い噂が立つと無実であろうとなかろうと処刑しなければならない武家のしきたりに従ったまでで、「許してくれ!」と心の中で叫びながら 刀を振るったのではないでしょうか。     

 

図1 佐々成政、早百合姫処刑の図(絵本太閤記、国立国会図書館デジタルコレクションより)

「さらさら越え」の話は、昨年の朝日新聞「みちのものがたり」にも特集されました。学会では、富山から松本に至るコースは、図2のように、立山連峰、ザラ峠を越える立山ルートのほかに、飛騨を経て安房峠を越える安房峠ルートと、越後へ入り糸魚川より松本へ下る糸魚川ルートの3説があるそうです。

図2 さらさら越えの3ル-ト(「みちのものがたり」2019年10月26日の朝日新聞より)

 さて再び新型コロナウイルスの話に戻ります。なぜ死亡者が欧米では多く、日本や中国、韓国では少ないのかという話ですが、上久保先生らの集団免疫獲得説は次の通りです。  
 新型コロナウイルスには、S型、K型、G型の3種類があり、このなかでG型ウイルスが毒性も感染力も強く、多くの人が死亡した恐ろしいウイルスです。武漢から直接、あるいは上海で変異して拡散したものがあります。他の2種のウイルスの特徴は下記の通りです
 S型:毒性は弱く、G型ウイルスに対する免疫能も高めません。逆にこのウイルスに対し
    形成された抗体がG型ウイルスの感染を助長します(抗体依存性増強)。
 K型:毒性は弱く、G型ウイルスに対する免疫機能を高めてくれる有難いウイルスです。
 ウイルス干渉という現象があります。古くより知られているもので、2種類のウイルスが体内に入った場合、どちらか一方のウイルスしか増殖しないというものです。日本では今年の冬インフルエンザの流行がみられませんでした。マスクや手洗いの励行が効を奏したと云われますが、それとは別に、日本には既に昨年末からS型とK型のコロナウイルスが入って拡がっていたために、インフルエンザウイルスの増殖が抑えられたと云うのです。その経過を図3に示します。

図3 3種のコロナウイルスの日本と欧米への伝播の時間的経過

 まず2019年の12月末にS型ウイルスが日本や欧米に入ります。続いて日本では113日頃にK型ウイルスが入って来ます。その後39日に入国制限措置が取られるまでの1か月半、K型ウイルスを保有する中国人が多数来日し、数多くの日本人が感染して自然に免疫を獲得しました。それに対し欧米では2月初めに厳しい入国制限が取られましたので、その時点でK型ウイルスの侵入は閉ざされ、G型ウイルスに対する免疫能は十分に形成されませんでした。そして最も恐ろしいG型ウイルスが到来しますが、欧米などでは、免疫を持たない人が多く、さらにS型ウイルスの抗体による抗体依存性増強も起こって感染者、死者ともに激増しました。一方、日本ではG型ウイルスは320日から22日の連休頃、欧米から渡来し第2波の感染拡大を引き起こしますが、既に免疫を持っている人も多く死者が少なくて済んだとのことです。入国制限措置の遅れたことが効を奏したという何とも皮肉な話ですが、この仮説が正しいとすれば有難い話です。今後のさらなる検討が俟たれます。

                       令和210
   桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛 (文、写真)
                  竹田 恭子(イラスト) 

                              
  
                                     

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