理事長の部屋

理事長の部屋

7月 紫つゆ草

-半日咲き、後は殻に戻って身を隠します-

7-2

 今年の5月から6月初旬にかけて記録的な晴天の日が続きました。67日にようやく朝から小雨となり、気象台は東海地方の梅雨入りを発表しました。平年より1日早かったそうです。「いよいようっとうしい季節がやって来るのか」と半ばあきらめながら覚悟を決めていましたが、ところがどうでしょう。梅雨入りした翌々日から梅雨の晴れ間、21日(日)夜から22日(月)朝にかけて台風並みの豪雨となるまで、2週間も晴の日が続きました。梅雨前線が日本列島の南で停滞したまま北上しなかったからです。北の高気圧の勢力下にあるからでしょう。見事な晴天が続きました。日中はずいぶん暑いのですが、湿度は少なくカラッとしています。朝夕は涼しいぐらいで、半袖では寒く感じるほどでした。

7-3

日蔭が似合う紫つゆ草の花。青紫の丸い花と、細長い葉の直線的な青緑がうまく調和します。 背景の日向に懐かしいものを感じます。

 そんな涼しい初夏の朝、人知れず庭の片隅でそっと花を咲かせているのが、紫つゆ草です。紫つゆ草はツユクサ科ムラサキツユクサ属の植物で、北アメリカ原産で明治時代に日本へ渡来しました。古代より日本に自生し、草叢(くさむら)や庭でよく見掛ける「つゆ草」と混同され勝ちですが、花の形や草姿は全く異なります。日向よりも日蔭に咲く方が合っているようで、青緑の細長い葉が複雑に交錯する中に、青紫の花がぽつん、ぽつんと散りばめられている様子は、如何にも涼し気です。

7-4

     さて次に開くつぼみはどれでしょうか?

 紫つゆ草の花は、朝開いて午後には萎んでしまう一日花です。右の写真をご覧ください。たくさんのつぼみが集合しています。垂れ下がるもの、直立するものなど、いろいろなつぼみがあります。これから咲くのはどれでしょうか。咲いた後、萎んでしまった花弁はどこへ行ったのでしょうか。どのつぼみも同じように見えて、何が何だかよく分かりません。そこで早起きをして、早朝花が開くところから昼過ぎ萎むまでを観察してみました。

7-8

                     花の開いていく様子

 上の写真は、つぼみの開くところを観察したものです。朝5時頃、空が明るくなって来ますと花が開き始め、2時間も経たないうちにほぼ完全に開きます。
 一方、下の写真は花が萎んでいく過程を観察したものです。この日は良く晴れた日で、太陽は眩しく照っていました。花は正午頃より萎み始め、2時間半から3時間ぐらいの間に、つぼみは萎んだ花弁を収めながら閉じていきます。閉じたつぼみは、翌朝どうなるのでしょうか。最後の2枚の写真(1730分と翌朝5時)を拡大して詳しく見てみましょう。

7-9

                      花の萎んでいく様子

7-10

 前の日萎んだ花弁を収めて閉じたつぼみ(A,B,C)は、翌朝にはうなだれて垂れ下がっています。一方、前の日斜め上方を向いていたつぼみ(D)が、翌朝咲き始めました。すなわち紫つゆ草のつぼみは、上方を向いて茎の伸びたものから順に開き、咲き終わると元のつぼみに戻って垂れ下がるのです。

7-11

 そこで前々ページの写真に戻ります。たくさんのつぼみのうち、次に咲くのはどれで、萎んでしまったのはどれか、もうお分かりのことと思います。右の写真は、そのつぼみの群を翌朝撮影したものです。上を向いていた2個のつぼみのうち、左側の茎の長いつぼみが開いたことが分かります。右側の茎の短い方は次に咲くのでしょう。それ以外のつぼみは、すべて垂れ下がっており、既に咲き終わったものなのです。

 

 

 

 

 紫つゆ草の花は、半日という短い命です。咲き終わりますと元のつぼみの中へ行儀よく収まり、殻を閉じてじっと静かに過ごします。閉じたつぼみは、手で触ろうが、爪で弾けようが、びくともしません。ちょうど殻を固く閉じた貝のようです。その中で秘かに実を作っているのですが、日蔭を好み、寡黙で忍耐強い花、それが紫つゆ草です。

7-12  7-13 

 紫つゆ草の花は、どのような構造になっているのでしょう。花弁は3枚で、色は青紫だけでなく、桃色や白いものもあります。中央に「めしべ」が1本ありますが、花柱の下端部にある紡錘形の子房が、真っ白なのが特徴的です。その周囲に6本の「おしべ」があり、それを取り囲むように細かい毛が多数生えていて、もじゃもじゃになっています。毛の色は、青紫の花では青紫、白い花でも青紫色をしています。しかし桃色の花では桃色です。
 この不思議な毛、いったい何でしょうか。どこから生えているのでしょうか。

7-14

7-6

 上の写真は、桃色の紫つゆ草の毛の部分を拡大撮影したものです。「おしべ」の軸にあたる花糸から、細かい毛が横や斜め上方に向かって多数出ていることが分かります。

7-7

さらに上の写真で長方形に囲んだ部分を拡大したのが左の写真です。毛はたくさんの節のようなものが連なって出来ていますが、その節は、根元では細長く、先端では短くなっています。
驚いたことに、この節そのものが細胞なのです。動植物の細胞は顕微鏡でしか観察できないと思っていましたが、この毛の細胞は大きいので普通のカメラでも観ることができるのです。さらにこの細胞は、細胞分裂の速度が速く、細胞分裂の際の染色体の動きを観察したり、いろいろな負荷を加えて突然変異の出現を調べる実験などに用いられます。Scienceというノーベル賞級の論文の発表される有名な科学雑誌がありますが、そこに掲載されたSparrow AH博士の論文や市川定夫博士らの報告によりますと、紫つゆ草のつぼみに少量の放射線を照射しますと、約2週間後には毛の色が青紫から桃色に変化します。紫つゆ草の毛の色は、青紫が優生、桃色が劣性ですが、放射線を照射することにより優性の遺伝子が障害され、劣性の桃色遺伝子が発現した、すなわち突然変異が起こったことになります。放射線を照射してからわずか2週間前後で、遺伝子変化の影響を確認できるのも、研究者にとっては極めて有難いことなのです。
 紫つゆ草の花は、「咲いた後は頑なに殻を閉じた貝みたい」と思いながら写真を撮っていて、ふと想い浮んだことがあります。私達が小学4年生の頃、国民的人気を博したテレビドラマ「私は貝になりたい」です。主演はフランキー堺で、「私は貝になりたい」と云う言葉は流行語になり、学校でも私達は訳も分からず使っていました。私は今でもドラマの数場面をはっきりと覚えていますが、私達の世代には記憶に残している方も多いと思います。話のあらすじは次の通りです。
 第二次世界大戦最中の昭和19年、戦局が不利になる中で、高知で理髪店を営んでいた清水豊松に赤紙が届きます。豊松は内地の部隊に配属されますが、厳しい訓練に明け暮れていたある日、アメリカ軍爆撃機B-29が撃墜され、アメリカ兵2人が捕虜となります。

豊松は、上官からそのうちの一人を銃剣で刺殺するよう命ぜられますが、生来気が弱く善良な豊松にはどうしてもできず、右腕を刺しただけに終わります。終戦を迎え、豊松は故郷へ戻って妻とともに理髪店を再開します。幸せに暮らしていたある日、突然進駐軍がやって来て、捕虜を殺害した戦犯として逮捕されます。そして一方的な裁判により死刑を宣告されるのです。彼は処刑台へ向かう前に家族に宛てて遺書を書き、「どうしても生まれ変わらなければならないのなら、戦争もない、兵隊にとられることもない、深い海の底の貝になりたい」と記します。
 善良で平凡な一市民が戦争により運命を翻弄され、抗しがたい権力により処刑される、戦争の不条理と、敗戦国の悲惨を描いた名作です。脚本は橋本忍(1918年~)で、元陸軍中尉、加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚」の中の遺言部分に「私は貝になりたい」の一文があり、それをもとに創作された物語です。橋本は日本を代表する脚本家であり映画監督でもあり、現在もご存命です。1950年に黒澤明監督の映画「羅生門」の脚本を担当してヴェネツィア国際映画祭でグランプリを獲得したのを皮切りに、「生きる」「七人の侍」などの脚本を手がけました。それ以外にも「張込み」「ゼロの焦点」「切腹」「白い巨塔」「日本の一番長い日」「日本沈没」など数々の名作の脚本を書き下し、さらに「砂の器」「八甲田山」「八つ墓村」などの映画を制作しています。
 一方のフランキー堺(19291996年)は、元々ドラム奏者ですが、喜劇役者としてテレビや映画で幅広く活躍しました。東宝映画の「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」などでの面白おかしい好演を、中高年の人なら覚えてみえる方も多いと思います。
 1958年ラジオ東京テレビ(TBSテレビの前身)で最初に放映されたドラマ「私は貝になりたい」は、その後1994年に所ジョージ、2008年には中居正弘の主演で同じTBSテレビで放映されていますので、若い方の中にもご存知の方がみえるかも知れません。
 どこにでもいる善良な豊松は、戦争さえなければ家族とともに穏やかな一生を送ったことでしょう。戦後70年、私もまもなく70歳になります。今までの人生で戦争を経験しませんでしたし、恐らくこれからも死ぬまでに戦場に立つことはないでしょう。明治以降80年足らずの間に、日清、日露、太平洋戦争と三つも戦争が勃発しました。その度に罪もない人々が、否応なしに戦争に巻き込まれ、命を落とし運命を翻弄されて来ました。しかし戦後70年、戦争はありませんでした。戦争を知らない人生、稀にみる幸せなことだと思います。

 さて病院の話題です。今回は南医療センターの総務課を紹介致します。総務課と云えば、どこの官庁や会社にもあり、組織の円滑な運営のためには欠かせない大切な部署であります。もちろん病院にもある訳ですが、病院総務課の難しいところは、医師、看護師、技術職員、事務職員など、立場が異なりしばしば利害の衝突する職種の人達をまとめていかねばならないことです。どこかの職種の要求を聞けば、別の職種から反発されるなど、とにかく気苦労の多いのが事実です。そんな特殊事情を抱える病院総務課ですが、南医療センターでは、事務長の下、経理係、人事係、用度係それぞれ1名ずつで組織され、医師、看護師、コメディカルなど、すべての職種の人達と適度な関係を保ちつつ幅広い業務を行っています。患者さんとは直接かかわることの少ない部署ですが、患者さんに少しでも良い医療を提供し、すべての職員が安心して業務に集中できるようにすることを目的として、目まぐるしく変化する医療状況に対応しながら、縁の下の力持ち的な存在として業務に励んでおります。総務課の主な業務を下記しますが、いずれも病院を円滑に運営していくために大切な仕事です。

7-1

人事 ・職員の採用に関すること    
   ・講演会の調整に関すること
   ・医師・薬剤師等の登録事務に関すること
   ・職員の給与及び手当に関すること
   ・健康診断に関すること
   ・職員の福利厚生に関すること

経理 ・予算及び決算に関すること
   ・経理事務に関すること
   ・経営分析に関すること
   ・支払いに関すること

用度 ・診療材料の購入、管理に関すること
   ・医療器械及び備品の購入、委託、賃借、修繕に関すること
   ・医療器械の選定に関すること
   ・院内設備の補修、管理に関すること
 総務課の皆さんは、医療スタッフとともにチーム医療の一員として、患者さんには「快適な診療環境づくり」を、職員には「働きやすい職場環境づくり」を目指して頑張っています。まもなく新病院となって三センターの総務課が統合され、ますます忙しくなることと思いますが、新病院の円滑な運営のためにも、どうぞよろしくお願い致します。

平成29年7月
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛   (文、写真)
竹田 恭子 (イラスト )

バックナンバー