理事長の部屋

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1月:日本水仙

―遠い国から 波に揺られてやって来た 水辺の妖精―

冬の陽を浴びてやわらかに咲く水辺の水仙

 新しい年も明けて早や1か月が経ちました。昨年末から1月中旬にかけて新型コロナウイルス感染が急拡大し、東京や大阪、愛知など11都道府県に再び緊急事態宣言が発令され、三重県でも県独自の緊急事態宣言が出されました。その後国民の自粛生活が効を奏したのでしょうか、2月に入って新規感染者は徐々に減り始めましたが、都市部においては重症者が減らず病院の逼迫状況は続いています。桑名市でも1月中旬には桑員地区の病床は満床となり、入院できずに自宅待機する人が50人近くにもなるなどたいへんな状況でした。しかし2月入って入院患者は減少し、自宅待機者もいなくなるほど大幅に解消されました。このまま収束してくれればいいのですが、そうは問屋が卸さないでしょう。
 そんな中で、着々と準備の進められているのがワクチン接種です。世界でワクチンを1回以上接種した人は、欧米や中国などを中心に1億人を超えたそうです。私どものセンターの職員で、1年の半分をハワイで、残り半分を当院で仕事している女性がいます。現在はハワイにいるのですが、先日メールが送られて来ました。ハワイ州はワクチン接種が進んでいて、彼女も既に2回接種したそうです。ワクチン接種の終わった人が増えるにつれ、何となく街が落ち着いて来たような感じがすると書いてありました。日本でも3月より、医療関係者、高齢者、持病を有する人などの順にワクチン接種が始まります。
 そこで今回はワクチンの有効性や副反応について改めて確認することにしました。

1)ワクチンの有用性
 ファイザーワクチンの有効率は95%とありますが、これはどういうことでしょうか?接種を受けた100人のうち95人がコロナウイルスに感染しないという意味でしょうか?いえ、そうではありません。有効性の評価には、ウイルスに感染しなくなるのか、あるいは感染しても発症しないのか、二通り考えられますが、通常は発症するかしないかで判定されます。表1をご覧ください。近く日本で接種の開始されるファイザー社とモデルナ社のコロナワクチンの臨床治験による有効性をまとめたものです。ファイザー社の場合、ワクチンを接種した18,193人中8人(0.04%)に症状が出ましたが、接種しなかった18,325人では160人が発症しました。ワクチンを接種しなかったら160人発症したところを、接種により8人に減らせたということになり、両群の母数がほぼ同一とみなしますと、有効率は次の式で計算されます。
             (160-8)/160 x 100=95 % 

 では実際の成績はどうでしょうか。ワクチン接種先行国のイスラエルでは、国民の約4割が少なくとも1回ワクチンを受けているそうです。優先接種の60歳以上の人たちでは、新規感染が40%減、重症者も24%減り、また過去30日間で死亡した1,536人のうち97%以上はワクチン未接種者であったとのことです。インフルエンザワクチンと同じように、コロナワクチンに期待することは、たとえウイルス感染を防げなくても、発症や重症化を抑えることです。とくに高齢者や持病のある人では。その意味でもこの初期結果は期待が持てます。

表1 コロナワクチンの有効性の比較

2)ワクチンの副反応   
  ファイザー社製ワクチンの臨床治験における副反応は、局所疼痛70%、発熱15%、倦怠感50%、頭痛45%、寒気25%ほどで、数日で消失したそうです。心配されるのはアナフィラキシーショックですが、米疾病対策センター(CDC)の発表では、ファイザー社ワクチンでは約20万回に1回、モデルナ社製では約36万回に1回、そのうち約90%30分以内に発症したとのことです。ということは1018万人に1人起こることになります。万一アナフィラキシーが起こったとしても、適切に処置すれば完治し、死ぬことはありません。したがって副反応を恐れることはないのです。
 今のところ、各社のコロナワクチンの有効性は高く、副反応も心配することはないようですので、進んで接種をお受けになることをお勧めします。

 さて今月の花は日本水仙です。白い花弁と中央の黄色い副花冠のアンサンブルが美しい可憐な花、真冬の寒さをものともせず、日本全国のあちこちの水辺や、道端、野原、公園などでけなげに咲きます。てっきり日本で生まれた花かと思っていましたが、実は地中海原産で中国を経て日本に伝わったそうです。中国では、水辺に咲く仙人のように美しい花という意味で水仙になったということですが、私には仙人よりも妖精のように見えます。ヒガンバナ科スイセン属ということですからヒガンバナの仲間ですが、ヒガンバナでは花は秋、葉は冬から春と別々ですが、水仙では冬一緒にみられます。

 

 右の写真は、よく見掛ける一重咲きの水仙です。白い花びらが6枚ありますが、外側の3枚は萼、内側の3枚は花弁で、合わせて花被片と云います。中央の黄色い盃状の部分は副花冠と呼ばれ、中に「おしべ」の葯のようなものが3個、さらにその真ん中に「めしべ」らしきものがみられます。どの花をみても「おしべ」らしきものは3本しか見えません。成書には水仙の「おしべ」は6本となっていますが、後の3本はどこにあるのでしょうか?


 上の写真をご覧ください。左は花の中央部分を拡大したものです。柱頭が3つに分裂した「めしべ」とそれを取り囲む3本のおし べの葯(A)が見えます。よく見ますと奥の方に、「おしべ」の葯のようなものが見えます(B)。右は、花の中央部で切断した断面像ですが、「おしべ」には上方へ突出して花の表面に顔を出すもの(A)と下方で隠れるもの(B)がそれぞれ3本ずつあることが示されます。

水辺で柔らかに咲く八重の水仙

 一方、八重咲の水仙もあります。上の写真のように「おしべ」も「めしべ」もなく、多数の白と小ぶりの黄色の花びらから構成されています。一番外側の6枚の花被片を除き他の花びらは、「おしべ」が花弁に変化したもので「花弁化おしべ」と呼ばれます。
 八重咲の水仙はもとより、あれだけ立派な「めしべ」や「おしべ」を持っている一重咲きの水仙も種を付けません。その原因は染色体数が三倍体だからで、牧野富太郎博士も「植物知識」の中で「水仙の花はむだに咲いているから、もったいないことである」と記しています。他にも三倍体の植物には、ヒガンバナ、シャガ、オニユリ、ヤブカンゾウなどがあります。外国から日本へ渡来して野生化した植物のことを帰化植物と云いますが、多くは渡来時期が江戸時代以降などと新しく、その経緯もある程度分かっているものを指します。しかし水仙のように渡来時期が古くてよく分からないものを史前帰化植物と云うそうで、前述の ヒガンバナなどの三倍体植物はいずれもこの分類に入るそうです。
 種のできない水仙、ではどのようにして増えるのでしょうか。それは球根が分裂する分球によります。分球により同じ遺伝子を持つ球根が次々と作られ、拡がっていきますので、親とは寸分違わないクローンが遠隔地でもみられるようになります。ということは、古代、地中海沿岸地方で咲いていた、そのままの水仙が、今、日本中の至るところでみられるということになります。何とも嬉しい雄大な話ではありませんか(水仙に関する植物学的な記述は、主に越前水仙|越前町 織田文化歴史館 (town.echizen.fukui.jp)を参考にしました)。

冬のあたたかな陽射しに、きょとんと咲く川辺の水仙。川面には冬の雲が映ります。


燃える「ちがや」の紅葉を背景に咲く水仙


一人ぽつねんと寂しそうです。

 中国から伝わったとされる水仙、ではいつ頃、どのようにして伝わったのでしょうか。古文書には、平安時代末期から鎌倉時代にかけて登場することから、遅くともその頃までには渡来していたそうです。遣唐使が薬草として持ち帰ったとか、室町時代に禅僧が持ち込んだという説もありますが、球根が海流に乗って流れ着いたという説もあります。これは日本の水仙の三大自生地が、福井県越前海岸、兵庫県淡路島、千葉県房総半島などにあるように、水仙が海岸地帯に多く生育することが根拠となっています。地中海沿岸地域で誕生した水仙、その球根が中国へ伝わり、さらに波に揺られて日本の海岸に漂着する、何ともロマンあふれる話です。

遠い昔の記憶が蘇りそうです。

 今でも広く歌われる歌曲「椰子の実」は、1901(明治34)年「落梅集」に発表された島崎藤村の詩に、35年ほど後の1936(昭和11)年に大中寅二により曲がつけられました。

        椰子の実

    島崎藤村 作詞 大中寅二 作曲

1 名も知らぬ 遠き島より
  流れ寄る 椰子の実一つ
  故郷の岸を 離れて
  汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

2 旧(もと)の木は 生いや茂れる
  枝はなお 影をやなせる
  われもまた 渚(なぎさ)を枕
  孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

 

伊良湖崎

                    (3番略)
 実はこの詩は、日本民俗学の父、柳田國男が東京帝国大学の学生だった頃、愛知県の伊良湖岬 (いらごみさき)に旅をした時の体験を、友人の島崎藤村に話したことにより誕生したものです。柳田は、晩年近くに著わした「海上の道」で次のように回想しています。

 途方もなく古い話だが、私は明治三十年の夏、まだ大学の二年生の休みに、三河の伊良湖崎突端に一月余り遊んでいて、このいわゆるあゆの風の経験をしたことがある。     (中略)
 今でも明らかに記憶するのは、この小山の裾を東へまわって、東おもての小松原の外に、舟の出入りにはあまり使われない四、五町ほどの砂浜が、東やや南に面して開けていたが、そこには風のやや強かった次の朝などに椰子の実の流れ寄っていたのを、三度まで見たことがある。一度は割れて真白な果肉の露われ居るもの、他の二つは皮に包まれたもので、どの辺の沖の小島から海に泛(うか)んだものかは今でも判らぬが、ともかくも遥かな波路を越えて、まだ新らしい姿でこんな浜辺まで、渡ってきていることが私には大きな驚きであった。
 この話を東京に還ってきて、島崎藤村君にしたことが私にはよい記念である。今でも多くの若い人たちに愛誦せられている「椰子の実」の歌というのは、多分は同じ年のうちの製作であり、あれを貰いましたよと、自分でも言われたことがある。                      
                   (柳田國男著 海上の道 青空文庫より引用)
 柳田は「日本民族は南方から黒潮に乗って渡来した」という説を提唱しますが、それには若い時の伊良湖で体験がもとになっていると云われます。

夜来の雨の上がった朝、木の葉や草についた雨露が冬の朝陽に輝きます。

  一方、南の国へ帰る燕(つばめ)を歌った童謡もあります。

     

        木の葉のお船
       野口雨情 作詞 中山晋平 作曲

1) 帰る燕は 木の葉のお船ネ
  波にゆられりゃ お船はゆれるネ
  サ ゆれるネ
2)船がゆれれば 燕もゆれるネ
  燕帰るにゃ お国が遠いネ
  サ 遠いネ
3)遠いお国へ 帆のないお船ネ
  波にゆられて 燕は帰るネ
      サ 帰るネ

「コドモノクニ」(1924(大正13)年4月1日発行)に掲載 された木の葉の舟の歌詞と挿絵。大阪国際児童文学館蔵。 池田小百合なっとく童謠・唱歌(2009/07/05)より引用しました。

 南の国から海流に乗ってやってくる、あるいは南の方へ帰って行く・・・と聞くと、私たち日本人の心が騒ぐのは、祖先が南の国からやって来たからでしょうか。

         うみ

            林 柳波 作詞  井上武士 作曲

       1 うみはひろいな 大きいな
     月がのぼるし 日がしずむ

   2 うみは大なみ あおいなみ
     ゆれてどこまでつづくやら

   3 うみにおふねをうかばして
     いってみたいな よそのくに

 誰もが歌った文部省歌、私は3番の詞が好きでした。「うみにおふねをうかばて」と幼児言葉になっていますが、これには理由があり、童謡・唱歌に造詣の深い池田小百合氏によれば、次のようになっています(なっとく童謡・唱歌 2019年 池田小百合 (www.ne.jp)。この歌が作られたのは昭和16年、太平洋戦争に突入した年です。何もかも軍事教育で、省歌にも国威発揚の言葉を強要されるなど教科書の検定も厳しくなりました。この歌は小学校1年生を対象に作られましたが、詞には軍艦などの勇ましい言葉はなく、穏やかな海と外国へ憧れる子供心が詠われています。作詞の林柳波は、厳しい検定を通過するために、わざと幼児言葉を使って幼子向け童謡のイメージを強調したのです。戦後になっても林や作曲の井上らは頑として改めませんでしたが、彼らの死後、昭和55年に「うかばて」と改定されたそうです。
 昔は今のように気軽に飛行機で外国へ行くことはできませんでした。船に乗って出かけるしかなかったのです。沖に浮かぶ船を見て、「いってみたいな よそのくに」と思うのは、子供だけでなく大人も同じだったのです。
 私は学生時代、海外留学に憧れました。卒業したら外国の病院で働きたいとそればかり夢見ていました。そのための勉強もしました。医師になって8年、念願が叶いました。アメリカの大学病院へ留学することになったのです。憧れのアメリカで暮してみて驚くことばかりでした。世界中のいろいろな国から人々がやって来て、多種多様な人生観や価値観を持って生きている、競争は厳しいけれど生き生きと暮らしているのです。それまで狭い日本の中で、傍目ばかりを気にしながら生きて来た自分は何だったのだろうと思いました。最初の1年は、アメリカのスケールの大きさ、多様さ、発想の自由さに圧倒され続けました。しかし1年を過ぎた頃からでしょうか、今まで地球儀上で遠く離れた小さな島国にしか見えなかった日本が、何か光輝くようになって来ました。豊かな自然、心やさしく、協調性を重んじる人々、外国で住んでみて初めて、日本や日本人の良さが見えてきたのです。日本再認識とでも云うのでしょうか、そんな思いを強くして2年後帰国しました。今でも、私は学生や若い医師にこう話します。「どんな国でも、どんな仕事でもよいから外国に住みなさい。そうすれが、私たちのこの日本が見えて来ます。旅行では分かりません。住まなければ・・・」
 コロナが明けたら、若い人たちは再び世界に向けて大いに羽ばたいてください。私たち高齢者は、さてどうしましょうか?

                            令和3212
                桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛 (文、写真)
                               竹田 恭子(イラスト)

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