理事長の部屋

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8月:モントブレチア(ヒメヒオウギズイセン)

―欧州の、はたまた日本の、古き良き時代の面影を残す「ひおうぎ」たち

古い蔵の板壁を背景に咲くモントブレチア。鮮やかな紅赤色に、少し古風な美しさを感じます。

 今年の8月は、新型コロナの感染拡大第7波が日本列島を席捲し、大混乱となりました。しかも3年ぶりに行動制限のない夏休み、各地の行楽地は若い人たちで賑わいました。一方の私たち高齢者は、どうだったのでしょうか。結局、思い切った旅行にも行けず、せいぜい日帰りで行楽地へ行ったぐらいで、果たして何をしていたのか、思い出すことのできない夏でした。皆様は如何でしたか。
 さて今月の花はモントブレチアです。南アフリカ原産、1880年フランスで交配により産出された園芸種で、明治時代に日本へ渡来しました。モントブレチアという名前は、フランスの植物学者、アーネスト・コケベール・ド・モンブレ(1780-1801年)の功績を讃えて名付けられたものです。モンブレは、若くしてエジプト遠征隊に参加し、モントブレチアをはじめアフリカの植物の研究に精魂を傾けましたが、ペストにより弱冠21歳で亡くなりました。

 モントブレチアの和名は、ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)と言います。日本古来の花ヒオウギに似て、それより一回り小さいので、こう呼ばれるようになりました。檜扇とは、平安時代に宮中で使われていた檜の薄板を組み合わせて作られた扇のことで、植物のヒオウギは、葉の出方が檜扇のようになっているところから名付けられました。ヒオウギは、ヒオウギズイセンとも呼ばれますが、日本古来の花ですので、ここでは「ひおうぎ」とひらがなで表記致します。

檜扇

葉の出方が檜扇のような「ひおうぎ」

  名前に「ヒオウギ」の入った植物は4種ほどあり、いずれも葉の出方が檜扇のようになっています。しかし名前の付け方が紛らわしくて混乱しますので、表1にまとめました。すべてアヤメ科ですが、属や原産地が違います。花の形はずいぶん異なり、ヒメヒオウギはフリージア属で小さなかわいい花を咲かせますが、ヒオウギアヤメの花はアヤメにそっくりです。花を見れば区別することは難しくないのですが、名前の付け方が紛らわしく、その「紛らわしさ」は先々号で勉強した桔梗草、鄙桔梗、鄙桔梗草の関係に匹敵します。

表1 名前に「ヒオウギ」の入る植物

ヒメヒオウギ

ヒオウギアヤメ

 前置きがずいぶん長くなりましたが、それでは本題のモントブレチアの花について、「ひおうぎ」と比較しながら記します。
 下の写真は、妻の実家の庭に咲くモントブレチアです。亡き義母が育てていたのですが、いつの間にか庭のあちこちに拡がり群をなして育っています。繁殖力はきわめて旺盛で、葉は密集し過ぎてしばしば折り重なるようにして倒れます。それでも隙間から顔を出して平然として花が咲いています。

実家の庭に咲くモントブレチア

葉が倒れてもお構いなしに花が咲きます

草叢にたくましく咲くモントブレチア

 

 

最近では野生化し、草叢の中でたくましく育っているのをよく見かけます。あまりにも増え過ぎますので、佐賀県では条例により、育てたり持ち込むことを禁止しているそうです。

 このように「たくましさ」が前面に出るモントブレチアですが、たくさん咲く紅赤色の小さな花は、いずれも俯き加減です。しかも花弁の紅赤色も鮮やかながら抑制が利いていて、何となく控え目な感じがします。
 やや厚ぼったい花弁は6枚、基部が黄色くなっています。3本の「おしべ」、柱頭の3裂した「めしべ」ともに黄色で、花弁の紅赤色と鮮やかなコントラストを呈します。花の付き方は、茎の下方から先端に向かい左右に1個ずつ互い違いに咲いて行きます(無限花序)

「めしべ」の柱頭は3裂します

「つぼみ」が左右互い違いに開く無限花序

 一方の「ひおうぎ」は、茎の途中から放射状にたくさんの花を付けます(散形花序)。花は一度に咲くことはなく毎日数個ずつ咲きますので、長い間次から次へと咲く花を楽しむことができます。黄色の花弁は6枚、たくさんの赤い斑点のあるのが特徴です。背の高い「めしべ」が1本、小さな「おしべ」が3本あります。

「ひおうぎ」の散形花序

「めしべ」1本、「おしべ」は3本です

後はくるくるネジリン棒

 面白いのは「花後」です。萎んだ花はくるくる巻きになって、ちょうど飴をくるくる捩じった「ネジリン棒」のようです。
 

 秋になると「ぬばたま」と呼ばれる黒くて光沢のある実が成ります。万葉集には、「ぬばたまの」という夜や髪など黒いものにかかる枕詞(まくらことば)が使われていますが、それはこの種子の黒いことに由来するのだそうです。

 

ぬばたま

 京都の祇園祭では、多くの家庭で「ひおうぎ」を玄関先に飾るそうですが、厄除けになるとか、お祭りで忙しい時に手入れをしなくても長い間花を楽しめるからとも云われています。

 

 

山鉾巡業

 祇園祭を初め、青森ねぶたや阿波踊など今年は全国各地で3年ぶりに夏祭や花火大会が開催されました。もちろん感染対策を十分に施した上での開催ですので制限のかかったものとなりましたが、それでも地元の人たちにとっては、この上ない喜びとなったことでしょう。 

石取祭(春日神社)

 桑名の石取(いしどり)祭も3年ぶりに開かれました。「日本一やかましい」と言われる石取祭、ユネスコの無形文化遺産に登録されて、その賑わいぶりにはさらに拍車がかかったような気がします。桑名南部を流れる町屋川の清らかな石を採取して春日神社に奉納するお祭りで、毎年8月の第1日曜日とその前日に開かれます。町々から曳き出される祭車は、太鼓と鉦で囃しながら町々を練り回るのですが、その囃子が独特で賑やかなのです。圧巻は日曜日の夜、各町からの祭車が列をなして順番に春日神社の境内へ入ります(渡祭)。真っ暗闇の中にたくさんの提灯が輝き、太鼓とカン高い鉦の音がけたたましく響き、祭りは クライマックスを迎えます。桑名の人はこの祭りがほんとうに好きで、病院の職員の中にも、祭りが近づくと「そわそわ」して「気もそぞろ」になる人が少なくありません。地元にこのような祭りがあるというのは羨ましい気がします。

 夏祭、ほんとうに賑やかで楽しいものですが、賑やかであればあるほど終わりに近づくにつれ、何となく淋しくなります。夜祭では殊にそうです。それは暑くて楽しかった夏が終わり、空気の澄んだ静かな秋を迎えるからでしょうか。あるいは故人を偲ぶお盆の頃に開かれるからでしょうか・・・。

                  おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
                                       芭蕉

 同じ頃に咲くモントブレチア、心なしか寂しそうです。

 フランス人画家アンリ・マティス(1869-1954)は、20世紀を代表する画家の1人です。色彩の魔術師と呼ばれるほど色の美しい絵画を描きました。私は30代後半の頃、アメリカのボルチモアへ2年間留学しました。そこにはボルチモア美術館があり、マティスの作品を多く収蔵していることで有名でした。それまではマティスの絵画にはあまり馴染みがなかったのですが、ちょくちょく美術館へ足を運んでいるうちに、いつの間にか気になる画家になっていました。
 マティスは、若い頃、法律事務所で働いていましたが、病気療養中に母から画材を贈られたのをきっかけに絵画に興味を抱くようになり、画家へ転向します。スタートは遅かったのですが、ギュスターヴ・モローの教えを受け、ジョルジュ・ルオーなどの友人に恵まれて急速に腕を上げ、写実画から始まりセザンヌやゴッホなどの後期印象派の影響を受けて自由な色彩による絵画表現をめざすようになります。30代後半には一時、フォービズム(野獣派)と呼ばれる大胆な色彩を用いた絵画を制作しますが、その後は穏やかな絵を描くようになります。

 

 右の絵「音楽のレッスン」にはマティスの家族が描かれています。ピアノを弾いているのが長女と次男、画面左下で煙草を吸っているのが長男、庭で椅子に座っているのが妻です。時代は第一次世界大戦の真っ最中、長男は戦争に行くことが決まっていたそうです。明日はどうなるかも知れない運命の心細さに、家族の表情は誰もが暗く寂しそうです。そんな中にあっての家族の貴重な日常、そのかけがいのない一瞬を美しい色彩であたたかく描いています。

マティス 音楽のレッスン 1917年

 

 

 

 マティスは1917年頃より冬は南仏のニースで過ごすようになりました。左の絵は、そこのホテルの一室を描いたものです。バルコニーで椅子に座り地中海の潮騒を聞きながら静かに過ごす女性は、何を想っているのでしょうか。暑かった夏の日を思い出しているのでしょうか。 あるいは、遠くに過ぎ去った青春時代を振り返っているのでしょうか。

     マティス ニースのインテリア          
      1919または20年  シカゴ美術館蔵

 調和のとれた美しい色彩で描かれるマティスの絵画は、過度に主張することなく控え目で、私たちをかなたの安寧の世界へ誘ってくれます。
 ちょうど紅赤色のモントブレチアの花のように・・・。

 

 さてコロナの話題です。前回紹介しましたように、新型コロナ感染拡大の第7波では、 全死亡者142人のうち90%以上の131人が70歳以上の高齢者で、しかもその数は、重症者数(5人)に比べ圧倒的に多くなっていました(表2)。重症者とは、コロナ肺炎などにより人工呼吸器などを装着した場合を指しますので、亡くなられた患者さんの大半は、肺炎ではなく心臓病や腎臓病、糖尿病などの基礎疾患の悪化が原因だったことを示しています。現在その死亡実態の詳細を調べているところですが、ワクチン接種回数との関係が明らかになりましたので報告致します。

表2 三重県におけるコロナ第7波の感染状況

表3 三重県における70歳以上の 高齢者のワクチン接種状況

 県内在住の70歳以上の高齢者は約42万人です。今までに4回のワクチン接種が行われましたが、それぞれの接種状況を表3に示します。これよりワクチン回数別の接種者数を算定するのですが、まず未接種者は1回目の接種を受けなかった人になります。次にワクチンを1回だけ接種した人の数は、1回目接種者数から2回目接種者数を減じた値となり、同様にして2回、3回接種の人数が求まり、計4回の接種者数が算出されます。なお1回接種者は、初回のワクチン接種は2回投与が原則で、接種1回では免疫の生じていない可能性が高く未接種と同等の扱いとしました。

 このようにして算出されたワクチン接種回数別の死亡率を示します(表4および図1)。

          表4、図1 ワクチン接種歴が明らかな116人における接種回数別の死亡率(第7波、70歳以上)

 コロナによる死亡者は、ワクチン未接種群に比べ4回接種で約1/103回接種で約1/2に減少しています。すなわちワクチン接種、特に4回接種は、コロナ死亡を大幅に減少させる効果のあることが判明しました。

 この冬には第8波の到来が懸念されています。70歳以上で心臓病などの持病を有する方々は、感染しないようにくれぐれもご留意ください。しかもワクチンの4回あるいはそれ以上の接種をお奨めします。それがこの冬を安心して過ごすための最善の方法なのです。

 (マティスの絵画「音楽のレッスン」および「ニースのインテリア」は、それぞれWebMuseum, Parisとシカゴ美術館のホームページよりダウンロードしました。)

                              令和41011日                 

             桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛 (文、写真))            
                            竹田 恭子(イラスト)

 

 

                             

 

 

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