理事長の部屋

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4月:マツバウンラン(松葉海蘭)
―春風に舞う謎の飛行体、絶妙な青と白とのアンサンブル―

春風に吹かれ心地良さそうに揺れるマツバウンランの群

 さて理事長の部屋の再開です。2年ぶりの何ら行動規制のないゴールデンウイーク、如何お過ごしになられましたか?日本全国の行楽地では人出がどっと増えたそうで、新型コロナウイルス感染の再拡大が懸念されますが、今回からはコロナの話題は巻末にまとめて記載することと致しましたので、早速花の話を始めます。
 春の野には、タンポポやれんげ、菜の花などの花形選手の影で、ひっそりと静かに咲く小さな控え選手たちがたくさんいます。まさに「ひっそり」咲いていますので、遠くからでは咲いていること自体気が付かないほどですが、近寄って目を凝らしますと小さな花がぎっしり群れていて、なかなかの壮観です。3月まだ春の浅い頃には、なずな、タネツケバナ(種漬花)、コハコベ、オランダミミナグサ(耳菜草)など白く小さな花が不思議に多く、花が小さ過ぎて肉眼では花の形を確認できないものもあります。そんな中で一人青色を放って気を吐いているのは、オオイヌノフグリぐらいでしょうか。4月に入りますと、マツバウンラン、ムラサキサギゴケ、トキワハゼなどの青い花が咲き出します。そして中旬を過ぎる頃には、ニガナ、オニタビラコ、野げし、ジシバリ、カタバミ、オヘビイチゴなどの黄色い小花がいっせいに開いて、春は黄色い花の多いことに嬉しくなります。さらに淡い青のキュウリグサ、紅いベニカタバミ、桃色のムラサキカタバミや夕化粧などの花が咲き競い、春爛漫となります。この4月、私はマツバウンランとムラサキサギゴケ、トキワハゼなどの青い花に魅かれ、たくさん写真を撮りました。そこでそれらの花を今月と来月の2回に分けて紹介致します。

 今月はマツバウンランです。聴き慣れない名前かも知れません。ウンラン(海蘭)とはゴマノハグサ科ウンラン属の植物で、蘭ではないのですが、浜辺に咲く蘭のように美しい花ということで、この名が付きました。マツバウンランは、花はウンランに似て、葉が松の葉のように細く尖っているものですから、松葉海蘭となりました。アメリカ原産のオオバコ科マツバウンラン属の植物で、日本では1941年に京都で初めて確認されたそうです。津市郊外でも、数年前頃は野山で時々お目にかかる程度でしたが、最近は里山はもちろん街中の公園など、至る所で目にするようになりました。

ウンランの花

 ひょろひょろと伸びた細い茎の先端に、数個の青い花が咲きますが、何とも不思議な形をしています。花弁(はなびら)が輪状に並ぶ普通の花の形にはほど遠く、子供の時遊んだおもちゃの飛行機か、UFOのようにも見えます。「おしべ」や「めしべ」はどこにあるのでしょうか?同じ仲間のオオマツバウンランも非常によく似た形をしています。そこでマツバウンランの花の不思議を、オオマツバウンランと比較しながら調べることにしました。​

マツバウンラン

松葉のような葉

オオマツバウンラン

 

 

 まず花の大きさです。並んで咲いている花を撮影したものですが、マツバウンランに比べ、オオマツバウンランの花は2倍ほど大きいことが分かります。

(左:マツバウンラン、右:オオマツバウンラン)

 マツバウンランもオオマツバウンランの花も、上唇と下唇の2枚の花弁からなり、下唇の中央部は盛り上がっています。盛り上がった部分が、マツバウンランでは白いのですが、オオマツバウンランでは白くなく、花弁全体に紫色のストライプが目立ちます。どちらも上唇と下唇の接合部に距が開口します。

 距とは、オダマキやランなどでみられるもので、花弁の後方へ突出する角状の突起で、中に蜜などを溜めて虫を誘い寄せます。距の大きさを花弁と比較しますと、オオマツバウンランの距はマツバウンランに比べ非常に大きく目立ちます。上の写真では、マツバウンランの花が強拡大されていますので距は見えますが、実際の花を肉眼で見た場合、距は小さ過ぎて確認し難いほどです。距の中に長短2本ずつの「おしべ」と1本の「めしべ」が入っています。

 

距の入口部に「おしべ」の先端の黄色い花粉が覗いています。

 


オオマツバウンランの花には下唇中央の盛り上がり部が白いものもあり、紛らわしいことがあります。

水田(みずた)の畔で、スイバの赤い穂を背景に咲くオオマツバウンラン。


水辺に憩うオオマツバウンラン


農道の斜面にぎっしり群れるマツバウンラン

 今月の花マツバウンラン、実に美しい青色をしています。濃くもなく薄くもなく、抑え目で静かな色調です。眺めていますと、心がしっくり落ち着いて来ます。現在でも人気の高い17世紀のオランダ人画家、ヨハネス・フェルメール(1632-75)は、フェルメールブルーと称されるほど青色の美しい画家として知られています。

 なかでも有名なのが「真珠の耳飾りの少女」です。若い女性が小首をかしげ肩越しにこちらを見つめています。きめ細かな美しい肌、両目の瞳孔の輝き、かすかに開いた口と少し濡れて光る下唇、17世紀の女性とはとても思えない、現代の少女のように生き生きとしています。そして青と黄色の布をターバンのようにして頭に巻き、耳飾りの大きな真珠が銀色に輝きます。この作品は、特定の人物を描いた肖像画ではなく、当時オランダで流行っていたトローニーと呼ばれる画法で描かれています。トローニーとはオランダ語で頭部の習作を意味し、人物に似せて描くよりも人物の表情や性格を如何に表現するかということに主眼を置いて描かれた肖像画を指します。そのためモデルなしで描いたり、モデルがいても画家が自在にデフォルメして描いたりしたそうです。

ヨハネス・フェルメール 真珠の耳飾りの少女 1665年頃 マウリッツハイス美術館蔵

ヨハネス・フェルメール 牛乳を注ぐ女 1658-1660年頃 アムステルダム国立美術館蔵

 

 この作品で少女は、エキゾチックな衣服をまとい、トルコ風のターバンや偽物のように大きな真珠のイヤリングをつけています。当時のオランダの少女ならば、身に着けることのなかった装束をまとっていることも、実在した人物である可能性が低いと言われています。このターバンを彩る青色がフェルメールブルーです。中東アフガニスタンでしか採れなかった貴重な鉱石、ラピスラズリをすり潰して作られた「ウルトラマリンブルー」と呼ばれる非常に高価な絵の具を用いて描かれています。他にも「牛乳を注ぐ女」にも用いられています。

 真珠の耳飾りの少女」の絵は、オランダのハーグ市にあるマウリッツハイス美術館に飾られています。私も昔一度訪れたことがありますが、池の畔に建つ瀟洒な美術館は、元々貴族の邸宅で、中へ入ると幾つもに分かれた部屋には壁いっぱいにたくさんの絵画が展示されていて、有名なフェルメールの「デルフトの眺望」も飾られていました。 

マウリッツハイス美術館

 他に青で有名な画家は、パブロ・ピカソ(18811973年)です。ピカソと言えばキュビスムを極めた抽象絵画というイメージが強いのですが、若い頃は具象画を描いていました。1881年スペインのアンダルシア地方で生まれたピカソは、幼い頃より工芸学校の美術教師だった父より絵画の手ほどきを受け、天賦の才を発揮します。

 

   

   10代で数々の賞を受賞して画家への道を進みますが、1901年ピカソ20歳の時、友人の画家が拳銃で自殺し、それを契機にうつ病になります。それから4年間ピカソは、沈んだ青一色の暗い色調ばかりを用いて、貧困や孤独、絶望などをテーマにした老人や子供、女性などの絵を描きます。そこでその頃を「青の時代」と呼び、その青色をピカソブルーと称します。右の絵は、ピカソ20歳の時の自画像で、貧困に喘いでいた頃の作品です。痩せこけた頬に無精髭を伸ばして顔色も悪く、深い孤独と悲しみを湛えた表情をしています。 

パブロ・ピカソ 自画像 1901年                 ピカソ美術館蔵

パブロ・ピカソ 人生(ラ・ヴィ) 1903年 クリーブランド美術館蔵

 

 
 もう一つ有名なのが、人生(ラ・ヴィ)と題された作品です。この絵では、左側に裸の男女、右側に赤ちゃんを抱きかえる母親が描かれています。裸の男性が自殺した友人だそうです。3人の顔はいずれも厳しく沈んでいます。中央にある上下2枚の絵も、悲嘆にくれる裸の男女と女性の パブロ・ピカソ 人生(ラ・ヴィ)ヌードが描かれています。人生の絶望と哀しみを描いた作品と言われています。

   その後、恋人ができて画風は一変し、薔薇色の時代と呼ばれるような明るい色調の絵画を描くようになり、やがてキュビスムに傾倒し抽象画を極めます。

 

 さてコロナの話です。今年に入り始まった新型コロナウイルス感染の第6波は、2月にピークを迎え以後減少に転じましたが、その速度は遅く5月になってもまだかなりの感染者がみられます。今振り返ってみますと、確かに第6波では第5波に比べ感染者数は非常に多かったのですが、医療機関における負担は第5波ほど大きくなかったように思われます。何が違ったのでしょうか。そこで第5波と第6波の感染拡大を比べてみました。
 

図1 日本における新型コロナウイルス感染の感染者数と死亡者数の推移                 (Our World in Dataより引用、改変)

 図1は昨年81日より今年512日までの日本における新型コロナウイルス感染の感染者数と死亡者数(人口100万人あたり)の1週間ごとの推移を示したものです。第6波では第5波に比べ感染者数は数倍に増えていますが、死亡者も同様に数倍になっています。感染者だけでなく死亡者も増えているのですが、医療機関の負担が大きくなかったということは、どういうことでしょうか。

 

表1 三重県の第5波と第6波の感染者数、重症者数、死亡者数の年代別の累計

 表1に、三重県における第5波と第6 波感染者数、重症者数、死亡者数の年代別の累計を示します。ここで言う重症者とは、人工呼吸器やECMOを装着したり集中治療室(ICU)で治療を受けた患者のことで、多くはコロナ感染による肺炎併発例です。
 まず全体数の比較です。最下段の赤色の部分をご覧ください。第5波に比べ第6波では、感染者数は5倍に増えています。一方、死亡者数も2.3倍になっていますが、死亡率でみると半減しています。これは如何に感染者が多かったかということを示しています。一方、重症者数は3分の1ほどに減り、重症化率では20分の1弱です。
 つぎに年齢別にみますと、第5波では4060代の人に肺炎の併発による重症者が多く、亡くなられた方も多かったのですが、第6波では激減しています。また30代以下の若年者では第5波も6波もともに重症者も死亡者もほとんどいません。ここで注目されるのは第6波における70代以上の患者です。重症者は16人しかいませんが、死亡者は100人と6倍以上となっています。これは重症化せずに(肺炎を併発せずに)高血圧、糖尿病、心臓病など持病の悪化により亡くなられた患者の多いことを示しています。肺炎により人工呼吸器などを装着しますと、その維持管理のために医療スタッフには相当の負担がかかます。それが少なかった分、医療機関の負担が少なかったと言えます。一方70歳以上の死亡者100人という数は、第6波における全死亡者115人中87%を占め、看過できない数字です。

                        図三重県における新型コロナウイルス感染者数と3回目ワクチン接種率の推移
                                             (図左:65歳以上の高齢者、図右:20歳代の若年者)
    一方ワクチンの効果はどうだったのでしょうか。三重県における65歳以上の高齢者と20歳代の若年者の3回目ワクチン接種率と感染者数の推移を図2に示します。65歳以上の高齢者では、3回目ワクチン接種率は3月に入って急速に上昇し4月には85.9%に達しています。それにつれ感染者数は減少し、4月に入ってからの再増加もわずかです。一方3回目ワクチン接種の進まない20歳代では、一度減り始めた感染者数は3月終わりから4月にかけて再び増加し、第6波のピークに近い値まで増加しています。
 

   
 それでは第6波における高齢感染者のなかで、ワクチン接種回数と重症者や死亡者との関連はどうでしょうか。表2をご覧ください。三重県内の65歳以上の高齢者では、ワクチンを2回ないし3回接種してもかなりの数の人が感染していますが、接種しなかった人に比べ、重症化率は1/101/20程度、死亡率は1/31/4に減少しています。  

表2 三重県における新型コロナ感染高齢者のワクチン接種回数と、重症者、死亡者との関連

 まとめますと、オミクロン株による第6波感染拡大では、ワクチン接種により、高齢者における感染者数、重症化率、死亡率を下げる効果がみられましたが、相当数の人が、肺炎などを併発せず持病の悪化により亡くなられました。これは三重県におけるデータですが、全国的にも同様の傾向にあったと思われます。まもなく4回目のワクチン接種が開始されます。今回は重症化防止を目的とするもので、60歳以上の高齢者や基礎疾患を有する人が対象となります。それは理にかなっており、私たち高齢者は受けた方が良いと思います。しかしコロナ病棟などに勤務する若い医療従事者たちをどうするか、課題は残ります。

  掲載しました絵画は、いずれも所蔵する美術館のホームページよりダウンロードしました。
  三重県における新型コロナ感染のデータは、いずれも三重県発表によるものを引用しました。 

                              令和4520日              

                桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛 (文、写真)                  
                               竹田 恭子(イラスト)

 

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