理事長の部屋

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12月 ハナノキ(花の木)

                           -日本固有の絶滅危惧種、でもはるか遠くにたくさんの仲間が・・・-
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  11月になり朝夕はずいぶん冷え込んできました。空気はひんやりと冷たく澄んで、空には冬の綿雲が浮かびます。平べったく膨らんだ雲の下面は黒ずんでいて、如何にも寒そうです。逆に上半分は白くふっくらとして暖かそうで、明るい青空を背景に遠くに過ぎ去った夏の名残りのようです。そのなかでも一段と高く青空に向かって突っ立っている雲があり、明るい陽の光を真っ向に受けてひときわ白く輝いています。ぽつねんと一人高い所で光り輝く雲を眺めていますと、その遥かかなたにある高い空に想いは巡り、忘れていた何かをふと思い出しそうな不思議な感覚に襲われます。
  空気が澄んで来ますと、山が明瞭に見えるようになります。私は津から桑名までの朝の通勤電車では、山側の席に座ることにしています。車窓から鈴鹿の山々を眺めるのが楽しみだからです。鈴鹿セブンマウンテン、学生時代よく登りました。槍ヶ岳のように三角に尖っているのが鎌ケ岳、その右側(名古屋側)にあるのが御在所岳、まずその二峰を探します。晴れた日には御在所岳のロープウエイの白い鉄塔もはっきり見えます。この二峰は、遠く津市の郊外からも視認することができます。そして向かって左側から順に、入道ヶ岳、鎌ヶ岳、御在所岳、釈迦ケ岳、竜ヶ岳、藤原岳と他の山々を確認していきます。残念ながら私の好きな雨乞岳は、御在所岳の裏にあるため伊勢平野から見ることができません。若い頃これらの山で楽しく遊んだ日のことを何度も想い起こしては、半分うとうとしながら電車に揺られていきます。これが今一番の楽しみです。
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  この時季、紅葉も美しくなります。今年の秋は記録的に気温が高かったそうで、紅葉も遅かったようですが、それでも11月も中旬を過ぎあちこちで紅葉が見頃を迎えています。そこで今月は、松阪市郊外の県立飯南高校にそびえるハナノキ(花の木)の紅葉を紹介します。松阪市の中心部から国道166号線を東吉野の方へ車で30分ほど走ったところに飯南高校があり、その広大な敷地の入り口に樹高25mの巨大なハナノキ(花の木)が立っています。三本の太い幹から成り、地上1mの高さで幹周囲は374cmにもなります。
  ここに掲載しました紅葉の写真は、昨年11月23日の休日に撮影したものです。朝からよく晴れた日で、2,3日前の新聞に「飯南高校のハナノキの紅葉が見頃」と書いてあったのを思い出し、昼過ぎ妻の運転で飯南高校をめざして出掛けました。国道166号線をどんどん走り午後2時を過ぎた頃だったでしょうか、そろそろ目的地かなと思っていたところ、突然右手に途方もなく大きな樹が現れました。見事に紅葉していて午後の明るい陽を浴びてキラキラ輝いています。車を進めますとフロントグラスにどんどん迫って来て、その迫力に一瞬度を失いかけましたが、すぐに「これがハナノキの紅葉だ」と直感しました。車を降りて根元から見上げますと、実に大きな存在感のある樹です。どの方向から見ても丸みを帯びた円錐形の樹形が素晴らしく、どっしりと落ち着いています。紅葉は鮮やかな茜(あかね)色一色で量感があります。表情は穏やかでやさしく、静かに鷹揚(おうよう)に佇んでいます。大樹の持つおおらかさ、包容力を感じます。
  日本を代表する映画監督である小津安二郎は、1922(大正11)年19歳の時に三重師範学校(現在の三重大学教育学部)の受験に失敗し、代用教員として宮前尋常高等小学校へ赴任しました。その学校はこの近くにあったそうですが、今はもうありません。小津は 1年で教職を辞し上京して映画界へ入ります。今から90年以上も前のことです。このハナノキの樹齢は約80年ということですので、小津が代用教員をしていた頃には、まだ植えられていなかったのでしょう。
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  ハナノキは、カエデ属ハナノキ節に属する落葉高木で、生きている化石植物と云われる貴重な日本固有の樹木です。このハナノキ、その分布や生態、名前の由来など不思議なことがいっぱいです。
  ハナノキ節の「節」とは動植物の分類学上の呼称で、属と種の間に位置します。ハナノキ節として現存している植物は世界に3種しかなく、北米大陸東部に分布するレッドメープル(アメリカハナノキ)とシルバーメープル(ギンカエデ)、それに日本のハナノキだけだそうです。

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図1)ハナノキ節の隔離分布

このように、同じ仲間(近縁種)の生物が遠隔地に別れて分布することを、隔離分布と云います。ではハナノキの仲間は、なぜこのように遠く離れた地で別々に育っているのでしょうか?
  ハナノキ祖先種の第三紀(約6500万年前から250万年前までの時代)の化石調査によりますと、ハナノキ節の樹木は4500万年くらい前に北米大陸に出現し、1000万年前頃には北半球の中緯度地方を中心にユーラシア大陸から北米大陸にかけて広く分布していました。

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図2)ハナノキ祖先種の第三紀化石の産地*

しかし、第四紀に入り氷河期が繰り返し訪れますと、ヨーロッパのハナノキ節の仲間は絶滅します。そして500万年前頃には北米東部と日本のものだけが残り、このように遠く離れて分布するようになったそうです。

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図3)日本におけるハナノキの自生地*

 

 

 
  ところで北米の2種は、カナダからアメリカ東海岸一体に広く分布しごく普通に見られる樹木ですが、日本のハナノキは恵那山を中心とした半径約50km以内のごく限られた地域(岐阜県南東部(東濃地方)、長野県南西部、愛知県北東部)にだけ自生する遺存種です。そのため国の天然記念物に指定されたり、絶滅危惧種として保護活動が行われています。なぜ北米ではどこでも見かける普通種なのに、日本では希少種なのでしょうか。恵那山の周囲一帯は、山が低くて湿地が多く、寒暑の差が激しくて乾燥しているなどの立地条件がハナノキの成育に適したため残存したのではないかと云われています。しかし同様の立地条件を備えた地域は日本全国至る所にあろうと思われますが、何故ここだけ残ったのでしょうか。不思議なことです。
  ハナノキを漢字で書くと花の木ですが、花の木とはどういうことでしょうか。文字通り花の咲く木という意味であれば、たくさんあり過ぎて、なぜこの木に名付けられたのか分かりません。

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ハナノキは、春先の4月上旬、葉の出る前に赤紫の美しい花を樹いっぱい咲かせます。その花の咲く姿が余りにも美しいから「花の木」と呼ばれるようになったと云われています。しかし葉の出る前に美しい花を咲かせる木は、桜をはじめこれもたくさんあると思うのですが、特にこの木に「花の木」と名前が付けられたのは、余程美しいからでしょう。残念ながら私はまだその花の咲く姿を見たことがなく、来年は是非見たいと思っています。

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雄花

 
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雌花

 

   ハナノキは古代植物の特徴を幾つか備えています。その一つが、雄花(おばな)と雌花(めばな)があり雌雄異株であることです。雄花は長さ5~6mmの花柄が上向きに伸び、その先に5枚前後の花弁と5~6本のおしべが付きます。おしべの先端の葯は黒紫色をしています。一方雌花は長さ10~15mmの花柄が垂れ下がり、その先に4~5枚の花弁と長さ4mm程の花柱があり、花柱の先端は二分しています。また雌雄異株と云うことは、雄花と雌花がそれぞれ別々の株(個体)に発育し、同じ株には育たないことです。したがって雄花だけの咲く木を雄木(おぎ)、雌花だけが開花する木を雌木(めぎ)と呼びます。
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  ハナノキは紅葉も見事ですが、初夏の若葉も素晴らしいですね。鮮やかな緑が樹いっぱいに拡がり、五月の風に吹かれる様は、まさに「緑のそよ風」です。
  飯南地方の夏は暑いのでたいへんなのですが、ハナノキは、ひと夏中大きな木陰を提供してくれ、生徒さんや市民の皆さんの憩いの場となっています。夏の昼下り、ハナノキの大樹の下で涼しい風に吹かれながら、昼寝をしたらどんなに気持ちの良いことでしょうか。ハナノキには雄木と雌木があり両者が交配して子孫を残すためには、岐阜県東濃地方の自生地のように雄木と雌木が近くに生えていなければなりません。飯南高校のハナノキのように自生地から遠く離れた場所で単独で生えている木は、たいていは人工的に植えらえたものです。実は桑名にもハナノキの大木があったそうです。

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桑名市矢田町竹内邸のハナノキ

 

右は昭和初期に撮影された貴重な写真で、 私どもの親戚にあたる桑名市矢田町の竹内宏之さんのお宅に育っていたハナノキの大樹を写したものです。屋根の高さの二倍以上の樹高がありそうですから、 なるほど大きな木ですね。ハナノキに水をやるための専用の井戸を掘るなど、家族全員で大切に育てていたそうですが、残念ながら太平洋戦争が始まる前に枯れてしまったとのことです。
  日本では心細い思いをしながら辛うじて生き延びているハナノキも、苛酷な氷河期をともに乗り切って来たたくさんの友人が、アメリカやカナダで元気に育っていることを知り、きっと喜んでいると思います。来年は伊勢志摩サミット、ハナノキを介した国際交流も面白いかも知れません。
  さて病院の話題です。今回は西医療センターで救急医療に取り組んでいる救急チームを紹介します。救急チームは、平成21年4月、6名の看護師で立ち上げられ、現在は10名のメンバーで構成されています。今年度より脳神経外科部長の村松正俊医師が救急部長を兼任しています。救急部の活動としましては、輪番日、非輪番日を問わず、昼夜24時間、院内外で発生する救急患者さんに迅速に対応することが最大の任務であります。桑名市内には、脳神経外科は西医療センターにしかありませんので、脳卒中で倒れた救急患者さんがたくさん運ばれて来ます。また東名阪自動車道に近いため交通外傷の患者さんも多く、救急チームの役割は大切です。そのため食事時間も惜しみ、休日も十分取れないほど忙しく働いています。

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救急症例検討会の様子

  それ以外の業務としては、院内外において救急や災害医療に関する研修会や訓練を開催したり、参加しています。院内では職員を対象にして救急患者さんのレスキュー法を指導したり、救急医療の教育を実践しています。また院外の研修会では、主催者を務めたり、インストラクターとして参加しています。
  それらの活動の一つですが、救急症例検討会を年2回開催しています。この会は、桑名地区および近隣の医療関係者や救急隊のメンバーが集まり、この地域において発生した救急症例を再検討し、改善点があれば今後の救急医療に役立てようとするものです。救急隊と一緒に協議することにより、お互いの連携を深めたり、互いの活動のレベルアップを図ることができ、桑名地域における救急救命率の向上を目標に頑張っています。また年一回開催される病院祭では、市民の皆様を対象に家庭でもできる救急医療について講習を行い、地域における啓発活動も行っています。さらにこの2か月間の主な活動について紹介致します。

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災害訓練の様子

  10月には救急症例検討会を開催しました。 今回は、四日市の高速道路で発生しましたバス横転事故についての対応に関し、桑名市と四日市市の消防職員と桑名西医療センターの職員で検討致しました。今後、桑名市内でいつ発生するかも知れない重大な事故や災害に対し、活発な意見交換が行われました。
  11月には桑名市医師会主催の災害訓練が行われ、村松救急部長、石田副院長、井出外科医師、救急チームや外来の看護師が参加しました。傷病者が多数発生したという想定のもとに、どのようにトリアージ(傷病者の重症度に応じて治療の優先順位を決めること)するか訓練が行われました。

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チーム『ヤキハマ30』の皆さん

  また第1回三重県救急メディカルラリーに、村松救急部長、井出医師、看護師、救急救命士の6名で『ヤキハマ30』というチームを結成し参加しました。 メディカルラリーとは、病院内外で想定される様々な救急現場において、各救急チームの有する技能や患者さんへの優しさ、総合的なチーム力などを競うもので、模擬患者を用いて行われます。三重県では今年初めて開催されましたが、『ヤキハマ30』は参加15チーム中6位と健闘し、患者さんへの優しさやチームの雰囲気の良さ,日々の活動の成果を高く評価され“審査員特別賞”を受賞しました。
  西医療センターの救急チームは、元気で明るく優しい人達ばかりです。日々、救急医療に対し高いモチベーションを維持し、スキルアップするために頑張っています。今後も変わらぬご支援をお願い致します。
*本文中の図2と図3は「ハナノキ 湿地の自然史―赤き楓のかなでる交響曲―」(蛭間啓編集、2008年12月1日 飯田市美術博物館発行、杉本印刷)より引用致しました。


                                                           桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛 (文、写真)
                                                                                                    竹田 恭子(イラスト)