理事長の部屋

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4月 からすのえんどう

                                                  あ   ひばり
―うらうらと 野花の賑わい 揚げ雲雀―

れんげ畑と遠い街並を背景に立ち並ぶカラスノエンドウ。滅多に主役にならないからでしょうか、表情はいささか戸惑い気味です。

    今年の桜は、今一つはっきりしませんでした。3月中旬まで暖かったため全国的に桜の開花が早く、津気象台は3月28日津市の桜開花を宣言しました。平年より2日早いとのことでした。その後急速に開花が進み、五分咲きほどになった頃でしょうか。4月第1週の低温の影響で、桜はなかなか満開になりません。そのままずるずると長く咲き続け、何時満開になったのか分からないまま散って行きました。4月11日より横浜へ出張しましたが、例年であればとっくに散っているはずの桜が、まだ所々に残っていました。例年、東京や横浜の桜は三重県より早く咲き早く散るのですが、4月中旬になっても残っていたのです。恐らく4月初めの低温が影響したものと思われますが、今年の桜はどうもはっきりしなかったようです。
 そんな天候のはっきりしない春の始まりでしたが、いろいろな野草は遅れることなく着実に芽を出し花を咲かせ、野や畔を賑やかに彩ります。なかでもカラスノエンドウは、寒かろうが雨が降ろうがビクともせず、どんどん増えて庭や野を埋め尽くします。あきれ返るほどの増殖力です。庭掃除で、抜いても抜いても何喰わぬ顔して生えてくるカラスノエンドウに手を焼かれている方も少なくないと思います。今回の主役は、そのやっかいものカラスノエンドウです。
 カラスノエンドウはソラマメ属の植物で、植物学的にはヤハズエンドウと呼ばれるそうです。春先、小さいながら赤紫色の美しい花を咲かせますが、その旺盛な繁殖力により雑草として刈り取られます。カラスのエンドウの群の中で一緒に咲いている近縁種としてスズメノエンドウとカスマグサがあります。今回は、これら3種の野草の区別の仕方を中心として記します。

3種の野草の比較(赤矢印:花、青矢印:花の柄、緑矢印:葉の先端の髭)

 上の写真は、3種の野草を並べて撮影したものですが、比較すべきポイントは、(1)花や葉の大きさ、(2)花の付き方、(3)葉の先にある髭(ひげ)の形状です。
 まず花や葉の大きさですが、大きいものから順にカラスノエンドウ、カスマグサ、スズメノエンドウとなりますが、カラスノエンドウの花や葉は、他の二種と比べ桁違いに大きいことが分かります。カスマグサはカラスのエンドウとスズメノエンドウの中間に位置するというので、カラスの「カ」とスズメの「ス」のあいだ(間)の「マ」を合わせてカスマグサとなったそうですが、大きさから云えば中間というよりもずっとスズメノエンドウに近いと言うことができます。実際に咲いている花を比較した写真を次ページに示しますが、カラスノエンドウの花に比べ他の2種の花が如何に小さいか、よく分かると思います。

 スズメノエンドウやカスマグサの花は、てんとう虫よりまだ小さいぐらいですので、群になって咲いているところを遠くから見ると、白い点々が散らばっているようにしか見えません。

カスマグサの花の群

スズメノエンドウの花の群

 次に、花の付き方や葉の先端の髭の形状に関してですが、これには次ページの写真もご参照ください。まず花の付き方ですが、カラスノエンドウでは、花が葉腋(葉の茎への付け根部分の内側面)から直接出るのに対し、スズメノエンドウやカスマグサでは、葉腋から伸びた柄の先端に付きます。
 また葉の先端から伸びる髭は、カラスノエンドウやスズメノエンドウでは何本にも枝分かれしますが、カスマグサでは1本です。
 最も良く見かけるのはカラスノエンドウ、ついでスズメノエンドウで、カラスノエンドウの大群落の中に、スズメノエンドウが幾つも群れを作って咲いているのをよく見かけます。一方カスマグサもカラスノエンドウの集落に混じって咲くことが多いようですが、その数は少なく花も小さいため、見つけるのはしばしば困難です。そこでスズメノエンドウやカスマグサを探すためには、これらの葉はカラスノエンドウの葉に比べ少し黄緑がかっていますので、カラスノエンドウの深緑色の大群の中に黄緑色の部分を見つければ、そこに群を作っている可能性があります。またカスマグサはスズメノエンドウと一緒に生えていることもしばしば見かけます。最初に比較的探しやすいスズメノエンドウを探し、見つけましたら、その周囲をていねいに探せば見つかることがあります。

カラスノエンドウ 2~3個の赤紫色の花が、葉腋(黄矢印)から直接出ます。

葉の先端の髭(緑矢印)は数本に分枝します。

スズメノエンドウ

葉腋から伸びた柄(青矢印)の先に、4~6個の青みがかった白い花をつけます。

葉の先端の髭(緑矢印)は数本に分かれます。

カスマグサ 2個の青紫の花が、葉腋から出た柄(青矢印)の先につきます。葉の先端の髭(緑矢印)は 1本です。

花弁には赤紫の縦縞模様がみられます。

春の野は、お馴染みのれんげ草やタンポポの他に、彩り豊かな小さな野草で溢れていて、嬉しくなります。特に、黄色い野草が何種類も咲き、私たちの目を楽しませてくれます。

ムラサキサギゴケの群の中で一人咲くオオジシバリ

コメツブツメクサの黄色い小さな花の大群 に囲まれて咲くシロツメクサ

れんげ畑の美しい春の野。はるか彼方に霞む山々。青空に鳥が二羽飛んでいきます。

 一方、楽しく賑やかな春の野も、その遥か遠くに青空を見上げれば、何となくもの哀しい気持ちになることがあります。5月1日から新元号「令和」が始まりましたが、その出典である万葉集が今、大ブームになっているようです。私は若い頃、万葉集の中の大伴家持の和歌が好きでした。高校時代の国語の教科書に載っていたものです。

                                    

            て   はるひ    ひばり
  
うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 
    こころかな   ひとり
       
情悲しも 独しおもへば    

              
        大伴家持 (巻19・4292)

雲雀(ひばり)

 

齊藤茂吉の訳です。「麗らかに照らしておる春の光の中に、雲雀が空高く
のぼる、独居して物思うとなく物思えば、悲しい心が湧くのを禁じ難い」
(斎藤茂吉著、万葉秀歌、岩波書店)。万葉集には、恋人に贈る相聞歌や
亡き人を偲ぶ挽歌のように、相手を意識して作られた歌が多いのに対し、
この歌では自身の悲しい心持を独詠的に表現しています。そこがこの歌の
特異的なところだそうです。実は家持は、この歌を詠む2日前に、春の夕べ
の寂しさを詠った歌を2首作っていて、万葉集に並べて収載されているので
すが、これら3首をまとめて「春の愁い」の歌と呼ばれます。
 春の愁いと云っても、夕方ならば理解できますが、春の陽が照り、雲雀が
けたたましく鳴きながら大空高く昇っている日中に、愁いを感じるのです。
打ち解けて話し合える友人も家族もいなく、一人で閉じ籠っている時の孤
独感、寂寥感のようなものでしょうか。その頃の大伴家は、藤原家との政
争で不利な状況にあり、大伴氏の長であった家持が苦悩を抱えていたこと
も、この歌を作る動機になったと云われます。しかし「こころ悲しも ひ
とりしおもへば」という表現には、人間の日常的な感情を超えた、さらに
深奥にある根源的な死生観のようなものが示されているように思います。
それを斎藤茂吉は、「支那の詩のおもかげであり、仏教的静観の趣でも
ある」と評し、日本の古典文学に造詣の深い坂口由美子氏は「何かひど
く近代的な感じがする・・・人間存在それ自体のかなしみに通じるような
気がする」(坂口由美子著、万葉集 角川ソフィア文庫)と述べています。
このような愁いや孤独感は、私たちの青春時代にも誰もが、多かれ少なか
れ感じていたのではないでしょうか。なぜかしら常に心は満たされず、嬉
しいことがあっても心底喜べない、昔は疎外感と云ったのでしょうか。
そのため学生運動にのめり込んでいった仲間もいたと思います。私はノン
ポリでしたので、本でも読んで過ごすことにしていました。その頃読み耽
っていたのが川端康成です。川端文学には、「生きることの哀しみ」や
「宿命を素直に受け入れることの美しさ」のようなものが描かれていると
思ったからです。そして私は、この愁いは、社会へ出て、生き甲斐のある
仕事に打ち込めば忘れていくのだろうと考えていました。それから半世紀
近く、私たち団塊の世代は、それなりに一生懸命働いて来ました。そして
今、古希を迎え、残り時間の少なくなった私たちの心の中は、果たしてど
う感じているのでしょうか。

   一方、春の雨には、冷たく少し寂しいけれど何かあたたかいものがあります。長かった冬が終わり、ようやく春になって、しとしと降り出した雨、冷たいけれど冬のように厳しいものではなく、何か私たちの体をあたたかく包み込んでくれるような、やさしさを感じます。そんな雨の夜は、早々に布団に潜り込み、静かに雨音を聴きながら、そのまま眠り込んでしまいたいと思います。学生時代に三島由紀夫の小説(題名を忘れましたが)を読んでいて、春の雨を描写する一節がありました。突然、物語に何の関係もなく子犬が登場します。雨に濡れながら道路を歩いている子犬が、ブルブルと身震いをして体についた雨水を振り払う様子を描写したものですが、春の雨の、冷たいながらやさしくあたたかい感じが、実に巧みに表現されていて、「さすが文章の達人!」と感心しました。それから20年程経ったある日、テレビのコマーシャルで、雨に打たれながら街中をさまよい歩く子犬が登場しました。1981年に放映されたサントリーはトリス・ウィスキーの宣伝です。場所は京都、季節は春だと思います。一匹の子犬が、街中を大勢の通行人の足元をかいくぐるように小走りに駆けています。雨が降って来て、びしょ濡れになりながらも走り続けます。お寺の大きな門の下でジョギングの青年と一緒に雨宿りをします。雨も上がり、またとぼとぼ歩き始め、次のナレーションで終わります。

 

 

     いろんな命が生きてるんだな   
     元気で、とりあえず元気で
     みんな元気で          
     トリスの味は人間味 

 雨に打たれながらも、けなげに走る一匹の子犬をやさしく映像化したこのCMは大評判となり、1981年のカンヌ国際広告映画祭CM部門の金賞を受賞しました。ビリーバンバンの弟の菅原進氏が音楽を担当したことも話題となりました。このCMを見た時、すぐに三島由紀夫の小説を思い出しました。今でもYou-Tubeで「雨と子犬」で探せば見られますので是非ご覧ください。

 
 さて病院の話題です。今回は、腎臓内科部長である安富眞史先生に、改修された西棟に新設されました透析室について紹介していただきます。 
 透析室は、新病院完成から遅れること6か月、2018年10月1日に旧病棟の4Fを改装し移転しました。 病棟として働いていた時と同じとは思えないぐらいきれいになり快適となりました。透析の機械も新規導入され最新の透析医療が提供できるようになり、ベッド数も若干ですが増加して50床となりました。新しい透析室で現在130名近くの維持血液透析患者さんの治療に当たらせていただいており、また山崎病院さんやくわな共立クリニックさん、いなべ総合病院さんなどの透析患者さんで、入院が必要となった場合などの臨時透析も行っています。ハード面が充実しただけではなく、現在透析室には、腎臓内科医4名、看護師15名、臨床工学技士5名が所属しています。腎臓内科では24時間の待機態勢をとり、夜間の緊急透析や、大手術の後などの急性期治療の一環とした持続血液ろ過透析なども積極的に行っています。また近隣の施設で腎不全や急性腎炎の患者さんが発生した場合には、できる限りその当日に受け入れています。
 2017年1月に加納智美副看護師長に来ていただきました。加納副師長は日本フットケア学会副理事長(現在は理事)を務めるなど、フットケアの分野では日本を代表する実力者です。当院でも加納副看護師長、杉山看護師をはじめとする院内のフットケアチームで透析患者さんのフットケアを精力的に行っていただいています。当院ではシャント管理にも力を入れており、シャント経皮的血管形成術だけでなく腎臓内科でシャント造設術も行っています。シャント造設から管理までTotalで提供できる環境が自慢です。
 いろいろ透析室の取り組みについて話をさせていただきましたが、患者さんにとって1番のメリットは、総合病院でありながら維持透析を積極的に行っている点と思っています。シャント閉塞などのトラブルが起こってもすぐに治療が受けられる、入院が必要な病気となってもすぐ入院ができる、循環器科・脳神経内科の診療科も揃っており、総合病院ならでは環境が整っています。
 2019年3月31日をもって岩谷前透析室看護師長が定年で勇退されました。清塚新看護師長の下、医師・看護師もより透析医療に対し専門性を磨き、透析を提供するだけでなく透析患者さんに桑名市総合医療センターで透析を受けていてよかったと思われる透析室を作っていくことを目標に、スタッフ一同全力で取り組んで行きます。                     

透析室のスタッフの皆さん

                                                                                                         平成31年4月
                                                   桑名市総合医療センター   竹田 寛 (文、写真)
                                                                                                      竹田 恭子 (イラスト)
  
  

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