理事長の部屋

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8月:カンナ

―琉金と和金、似ているようで似ていない、金魚の仲間―

炎天をものともせず、ふさふさと頼もしく咲くカンナ

 今年の8月は、暑かったのか、そうでなかったのか、よく分からない夏でした。今振り返ってみても、晴れた暑い日が多かったようにも思いますし、曇の日が続いたような気もします。記録的な猛暑だった昨年に比べますと、暑くなかったように思いますが・・・。
    そこで気象庁のデータをお借りして、昨年と今年の暑さを比較してみました。下のグラフをご覧ください。最高気温が35度を超えますと猛暑日と云われますが、日本全国に分布する1000か所近い観測地点において、猛暑日となった地点の数を7月と8月で日ごとに比較したものです。赤線は昨年、緑色の線は今年の数を示します。7月の終わりから8月中旬にかけては、昨年も今年も猛暑日となった地点が多く、ともに暑かったことが分かります。ところが7月中旬から下旬、および8月下旬では、昨年は猛暑を記録した観測地点がずいぶん多かったのに対し、今年は ほとんどないことが分かります。すなわち昨年は7月中旬から8月の終わりまで、日本全国ずっと猛暑日が続いたのですが、今年暑かったのは8月前半だけだったということになります。 ということは、今年の夏は比較的過ごしやすかったということでしょうか。
  
    そして9月に入りますと、いきなり大雨と台風がやって来ました。なかでも9月初旬、三重県北部を襲った集中豪雨では、5日には四日市北部で、翌6日にはいなべ市と菰野町で、いずれも1時間に120mmを超える猛烈な雨が降り、総雨量は多いところで600mmを超えたそうです。亡くなられた方1名、床上、床下浸水62棟、橋の崩壊などの被害が発生しました。その時の天気図をテレビで見ていますと、伊勢湾で発生した雨雲が次から次へと線状になって北上し大雨を降らせています。これは最近よく耳にする 線状降水帯かと思いました。線状降水帯とは、2000年頃に日本で造られた気象用語で、その定義は「次々と列をなして発生し発達する雨雲(積乱雲)が、数時間にわたり同じ場所を通過したり停滞することにより生じる線状の強い降水域」となっています。規模としては、長さ50~300km、幅20~50kmぐらいのものだそうです。近年の集中豪雨では、台風などの影響によるものを除きますと約6割が線状降水帯によるもので、特に西日本や九州、沖縄地方に多いと云われます。記憶に新しいところでは、2014年8月の広島豪雨、2015年9月の関東東北豪雨などがありました。今回の三重県北部の豪雨が線状降水帯によるものかどうかは、もう少し調べないと分からないとのことですが、梅雨時から夏の終わりにかけての雨の降り方は、すっかり熱帯化して久しい気がします。 

    さて今月の花はカンナです。ジリジリと照りつける真夏の太陽に最も映えるのは、前号で取り上げたノウゼンカズラと百日紅(サルスベリ)、夾竹桃そしてカンナです。元来園芸種ですが、現在では野生化して道路端や川原の堤などに群をなして咲いています。

   
   
 炎天をものともせず、赤、黄、オレンジ色の色鮮やかなカンナの花が、群になってふくよかに咲いている姿を目にしますと、嬉しくもあり、頼もしく感じます。茎の先端にたくさんの花をつけますが、ふさふさした花びらが、多数重なり合うようにして咲いていますので、花の構造がよく分かりません。

 

 

 

  目を近づけて1個の花をじっくりと眺めてみましても、ふさふさした花びらが重なり合っているだけで、よく分かりません。「おしべ」や「めしべ」はどこにあるのでしょうか,

 

 

 そこで咲いている花を取り出し、外側から一つひとつていねいに分解して、どのような部分から構成されているか、調べてみました。それらを並べたのが下図です。上段左から下段右へ向かって順に外側から内側のものが並べてあります。
 まず上段です。萼と花弁を総称して花被片と云いますが、カンナには、最外側にある外花被(萼)が3枚、その内側に内花被(花弁)が3枚あります。本来の花弁はこんなに小さくて鞘(さや)のような形をしているのです。
 次に下段です。カラフルでひらひらした花びらのようなものが5枚あります。花弁ではないとすると、いったい何でしょうか。これは「おしべ」が花弁のように変化した「花弁化おしべ」と呼ばれるもので、八重咲の花にしばしばみられ、仮おしべとも云われます。その最内側にある5番目の花弁化おしべの一端から針のような「おしべ」出ています。さらにその内側に「へら」のような「めしべ」があります。

「おしべ」と「めしべ」の拡大写真

つぼみの中で「おしべ」は、「へら」のような「めしべ」の腹(花柱)にぴったり付着しています。

    実際に咲いている花で各部を確認してみましょう。

 

 
 カンナの花を横から観察したものですが、一番外側下方に萼(外花被)があります。その内側上方に花弁(内花被)が3枚あり、そのうち2枚は反りかえって垂れ下がっています。その上方内側に、花びらのような花弁化おしべがふわふわと開いています。

 

 

 花弁化おしべを一枚ずつ注意深く除けていきますと、最も内側に5番目の花弁化おしべが出て来ます。その一端(写真で向かって左側)から白っぽい「おしべ」が出ていて、それに対峙するような形で「へら」のような「めしべ」が位置します。

 

  上の3枚の写真は、川原などでよく見掛けるカンナに似た植物ですが、私は今まで漠然とカンナだと思っていました。花の付き方も、葉の形も、群をなして育つことも、カンナと同じだからです。ところがよく見ますと、どこか違っています。花びらの形が、カンナのようにふさふさふっくらしておらず、細くてスリムです。そこでネットなどで調べてみますと、カンナの原種であるダンドク(壇特)と云う植物だということが分かりました。

 ダンドクの花を、カンナと同じように分解して並べてみました。すると構成する要素の数と種類はまったく同じですが、ただ花弁化おしべの形態だけが異なっているのです。

 左上の写真をご覧ください。ダンドクやカンナの花では、時々「めしべ」の腹(花柱)の部分に、白いものが細長く付着しています。右上の写真はその一部を拡大したものですが、「めしべ」に付着しているのは、「おしべ」の花粉です。左の写真は、つぼみを開いて「おしべ」と「めしべ」の位置関係を調べたものですが、「おしべ」は「めしべ」の腹にぴったりとくっ付いています。そのため「おしべ)の花粉が「めしべ」の腹に付着するのです。虫にとっては細い「おしべ」よりも幅広の「めしべ」の方が止まりやすく、その腹に花粉を塗っておけば虫の足にくっつきやすくなるためだそうです。                   

 ダンドクとは、植物とは思えないような不思議な名前ですが、漢字では壇特と書きます。江戸時代にインドから中国を経て伝わったとされ、釈迦が修業したインドの壇特山の名に因んでこの名が付けられたそうです。カンナの原種の一つであり、この仲間はアメリカ、アジア、アフリカの熱帯に50種ほど分布しています。コロンブスがアメリカ大陸を発見した時に、タバコやマリーゴールド、ヒマワリなどと一緒にヨーロッパへ持ち帰った植物とも云われます。奄美地方には、日本に伝来した時のままのダンドクが残っているそうですが、その写真を見ますと、ここで取り上げたダンドクとは少し姿が異なるようです。何度か交配の繰り替えされた後に、現在の形になったのでしょうか。一方のカンナは、19世紀中頃からヨーロッパで、ダントクなどの原種を基に交配を重ねて作られた園芸種で、明治時代に日本へ渡来しました。
 このカンナとダンドク、同じカンナ科の仲間ですが、花の形が異なります。金魚に例えるならば、ふさふさしたカラフルなヒレを優雅に振って泳ぐ琉金と、スリムで動きの鋭い和金でしょうか。和金を琉金と思い込み、つゆも疑わずに長い間過ごして来ました。少し目を近づければ、その違いにすぐ気が付くはずなのに、それをして来ませんでした。私の持っている浅薄な知識や常識の中にも、そのような思い込みや先入観により誤って形成されたものが、どれだけあることでしょう。この齢になって・・・と思うと心寒くなります。しかし一つでも間違いに気付き、正しく改められますと、これはこれで幾つになっても嬉しいものです。老いてなお、何事にも好奇心を失わず、先入観にとらわれず、自分の目でしかと見ること、その大切さを改めて痛感しています。 

 

和金

琉金

 
 さてクリストファー・コロンブス(1451年頃-1506年)がアメリカ大陸を発見、というよりもヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸の土を踏んだのが1492年(学生時代イシクニと覚えました)、この年より約2世紀にわたりスペインの南北アメリカ大陸への進出が始まります。多数の探検家たちが一攫千金を夢見てアメリカ大陸へ渡り、征服し植民地化していきます。このような人達をコンキスタドール(スペイン語で征服者の意味です)と云いますが、その中で少なからぬ人達は、原住民から財宝を略奪し、殺戮したり奴隷化した極悪非道の人達だったと云われます。なかでも1521年メキシコのアステカ王国へ侵略したエルナン・コルテスや1533年にペルーのインカ帝国へ侵略し滅亡へ追い込んだフランシスコ・ピサロなどが有名です。コロンブスも、北アメリカの原住民を大虐殺し、奴隷化して本国へ送り込んでいます。さらにコロンブスの軍隊が持ち込んだ伝染病などの流行により、当初800万人ほどいたアメリカ・インディアンの人口は3分の1ほどに減少したと云われます。中学や高校の世界史で学んだコロンブスの印象は、北アメリカ大陸を発見した大冒険家で航海術にも優れた英雄、「コロンブスの卵」の逸話に語られるように、知的で思慮深い人でした。学校では教えて貰わなかったコロンブスの裏の顔、そういえば、コロンブスには奴隷商人という肩書もあります。
 コロンブスの北アメリカ上陸以来、15世紀から17世紀かけて繰り拡げられたスペインやポルトガルなどによる南北アメリカ大陸への侵略と征服、原住民の人達の受けた屈辱と苦難は、想像を絶するものがあります。私達の病院にも、スペイン語やポルトガル語の医療通訳として働くペルーやブラジル出身の職員がいます。彼女達の母国が長い間耐えて来た悲劇の歴史を想うと心痛みます。

 
 さて病院の話題です。今回は、本院の要の診療の一つを担う循環器病棟(7階北)について、佐藤公介看護師長より解説していただきます。
 7階北病棟は、循環器内科、心臓血管外科、胸部外科を主科とした40床の病棟です。循環器疾患にて入院される患者さんが大半を占め、予約入院の多くは、心臓カテーテル治療を受けられる患者さんです。2018年度には、心臓カテーテル検査658件、心臓カテーテル治療289件、アブレーションによる不整脈治療38件、ペースメーカー挿入術34件などが行われ、桑名地区では当院を中心として心臓カテーテル治療が行われています。また新病院開院後からは心臓血管外科手術も行われるようになり、冠動脈バイパス術、弁形成術や弁置換術など、以前は他病院へ搬送せざるを得なかった患者さんも当院で治療できるようになり、循環器疾患治療の幅がさらに拡大しました。2018年度には、心臓血管の手術17件、肺などの手術37件が行われましたが、術後急性期は集中治療室で術後管理を行い、病状が落ち着いて7階北病棟へ戻った後は、リハビリを中心とした社会復帰を目指す治療を行っています。術後リハビリに欠かせないのが心臓リハビリテーションメンバーの存在です。心臓リハビリテーションによる運動療法や退院指導のプログラムにより、術後リハビリを安全かつ安心して行うことができ、合併症の予防にも役立ちます。また術後だけでなく、心不全や心筋梗塞後にリハビリを行うことによって、心不全の再入院率を減少したり、病床回転率の向上に大きな役割を演じています。このようにして医師・理学療法士・薬剤師・栄養士・看護師が連携して一体となり、患者さんの社会復帰に向けてのサポートを行っております。
 7階北病棟で働くスタッフの多くは、桑名東と南医療センターで働いていた人達です。開院当初は、循環器科の特徴である入退院患者と重症患者の多さに、多忙を極め圧倒されましたが、その時期を乗り越えて成長して来ました。看護スタッフの平均年齢は若いのですが、若いからこそ、新しい変化にも柔軟に対応することができます。新病院の開院とともに、色々なことが目まぐるしく変化しましたが、その変化にも柔軟に対応して来ました。これには、医師の協力も大きかったと思います。市川病院長はじめ循環器内科、心臓血管外科、胸部外科の医師と私達スタッフとの仲も良好で、和気あいあいとした笑顔の絶えない病棟の雰囲気も特徴の一つです。また看護師は、医師により開催される研修会やカンファレンスへ積極的に参加したりして、医療の質向上のために多職種が協力し合い、お互い切磋琢磨しています。
 近年、高齢者世帯や独居生活などの増加により、患者さんが自宅へ退院することの困難な場合も多くなっています。看護師は、病院生活の中で患者さんと関わる時間が一番長く、患者さんの生活をコーディネートする大切な役割を担っています。一人ひとりの患者さんが、その人らしく社会復帰していただくために、今後も多職種と連携し、患者さんを中心とした医療を提供していきたいと願っています。 

                                   令和元年9月
                        桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛  (写真、文)
                                       竹田 恭子(イラスト)
                  

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