理事長の部屋

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4月 椿

―早春のほんのり甘い贈り物、和菓子?洋菓子?―

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 今年の3月はよく雨が降りました。ちょうど桜の花が咲き始める今頃、曇ったり雨が降ったりしますと「花曇り」とか「花の雨」とか云われます。先日NHKの天気予報を見ていましたら、一年中で3月は6月、9月に次いで曇や雨の日が多いそうです。一雨ごとに暖かくなるのもこの頃ですね。また花の咲いている時に寒くなると「花冷え」とも云われます。
 さて今月の花は椿です。椿にはたくさんの種類があり、なかなか覚えられません。野生種の代表は藪(やぶ)椿で、最も多く見かけるものです。園芸種となりますと、花の色、形、一重咲き、八重咲きなどの組み合わせで夥しい数の種類となり、漫然と眺めるのが精いっぱいという感じになります。しかし椿の花をよくよく眺めていますと、大きく2つのタイプに分かれるような気がします。右の写真を見て下さい。上はやぶ椿、下は乙女椿という品種です。八重咲きの乙女椿には、「めしべ」や「おしべ」がありませんが、これは双方とも花びらに変化したためでしょう。この二つの花を見比べますと、一重と八重の差以外にも何か見た目に違いがあるように思われます。お菓子に例えれば、上は和菓子、下は洋菓子でしょうか。和菓子の方は、黄色い芯を多数束ねて赤い薄皮餅で包んであります。花びらにこぼれた花粉は、黄色の粉砂糖をまぶしたようです。一方下の洋菓子は、デコレーションケーキに飾られる生クリーム製のバラの飾りそのものです。このように花のタイプに和風と洋風の二種類があるように思われます。

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 奈良県大和郡山市に、「椿寿庵」と云う椿の所があります。この家のご主人が長年収集し丹精込めて育てられて来たもので、1,000 種類、6,000 本もの椿があるそうです。一般にも無料開放されているとのことで、先週末訪ねて来ました。大和郡山市郊外ののどかな場所にあり、和風の門を入ると左手にあるお住まいの裏に大きなビニールハウスが2棟建っています。中へ入りますと、ほんのり甘い香りが漂う中で、色とりどりの花を咲かせる椿の鉢植えが長い列を作り、何列にもなってぎっしりと並べられています。いずれも種類の異なるものばかりで、一つとして同じものは無いのではないでしょうか。その種類と数の多いことに、圧倒されるばかりでした。夢中にシャッターを切り続けましたが、とても全部撮り切れるものではありません。すべての木には名札が付けられていますが、名前も覚えられません。ただ美しい花、面白い花を狙って撮り続けました。それらの写真をこの2ページに掲載させていただきます。それぞれ、美しい色とバラエティに富んだ形をしています。
 さて和菓子でしょうか、洋菓子でしょうか、あなたはどのように思われますか。

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これは実家の椿。白い薄皮餅に包まれた和菓子のようで、今にも食べられそうです。

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 津市郊外の芸濃町にある浄得寺には、樹齢400 年と云われる有名な五色椿がありますが、今年は天候のせいか余り花がつかなかったそうです。その本堂の裏に大きなやぶ椿の木があって、それほど多くはありませんが赤い花を咲かせていました。

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浄得寺の五色椿
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群れて咲くやぶ椿

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こちらは道端で見つけた八重の椿の木ですが、たくさんの花が今まさに満開です

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苔の上に落ちた椿の花

 椿と区別の難しい花に「さざんか」がありますが、花の散る時「さざんか」では花びらが一枚ずつ落ちていきますが、椿では花弁と「おしべ」が根元で融合しているため、花はそのままの形でポロっと落ちます。

 椿といえば、黒澤明監督の「椿三十郎」を想い出します。1962(昭和37)年、私達が中学生の頃に封切られたもので、三船敏郎(椿三十郎)、仲代達矢(室戸半兵衛:敵の剣豪)、加山雄三、田中邦衛らが出演しました。2007(平成19)年には森田芳光監督、織田裕二、豊川悦司らの出演によりリメイクされましたので、若い人達の中にも観た人がいるかも知れません。有名なのが最後の決闘シーンで、睨み合いの末一瞬にして三十郎に切られた室戸の体から血がどっと噴出したのには驚きました。椿の花びらは、敵の屋敷へ攻め込むタイミングを知らせる合図に用いられました。敵の屋敷に幽閉された三十郎は、隣の屋敷に潜んでいる味方の若い武士達に次のように伝えます。両屋敷の庭を流れる疎水があり、三十郎は敵陣の武士が出掛けて少なくなった時に疎水に椿の花びらを流すから、それを合図に一気に攻め込めというのです。若い武士達が緊張し疎水を凝視しながらじっと待っている時に、突然鶯(うぐいす)の鳴き声がのどかに響きます。見ている方も一瞬肩すかしを食わせられます。しかも流れて来た椿の花は、一輪ではなく山盛りになった大量の花びらです。場違いな鶯の声、流れて来た山盛りの椿の花びら、そして最後の決闘シーン、それまでの時代劇の常道に捉われない、意外性に富んだ場面の展開に非常に興味を覚えました。この映画を境にして、時代劇の創り方が大きく変わったそうです。

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 黒澤明(1910~1998年)監督は、云うまでもなく日本を代表する映画監督で、文化勲章、国民栄誉賞など数々の賞を受けています。また1951年映画「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞に選ばれたのを皮切りに、海外の著名な映画賞を次々に獲得し、1990年には日本人としては初めてアカデミー賞名誉賞を受賞しています。スティーブン・スピルバーク、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラなどの世界の高名な映画監督に大きな影響を与え、「世界のクロサワ」と呼ばれています。主な作品には、1950年代の「羅生門」「生きる」「七人の侍」「蜘蛛の巣城」、1960年代には、「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」、1970年代以降の「デルス・ウザーラ」「影武者」「乱」などがあります。

 私が映画を観るようになったのは中学生の頃で1960年代前半です。当時人気のあったアメリカ西部劇から入りました。マーロン・ブランドの「片目のジャック」に始まり、「荒野の七人」「アラモ」「西部開拓史」などの映画に夢中になりました。少し前に作られた「荒野の決闘」「駅馬車」「シェーン」などはリバイバル上映で観ました。なかでも「荒野の七人」はユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソンなどの大物俳優の共演に加えて、そのストーリーの面白さに魅了されました。この映画は、黒澤明監督の「七人の侍」をそのまま西部劇にしたものであるということを知り、黒澤映画に興味を抱く様になったのです。ちょうどその頃に「椿三十郎」が封切られましたので、いそいそと映画館へ出掛けましたが、その素晴らしさに感動しすっかり黒澤ファンになってしまいました。「七人の侍」はリバイバル上映で観ましたが、「荒野の七人」よりも面白いと思いました。

 黒澤映画の特徴の一つは、貧しい人々や虐げられている人達に対する温かいヒューマニズムと、巨大な社会悪を暴き出し敢然と挑戦する姿勢にあります。それを非常に分かりやすいストーリーで、ユーモアをまじえながらダイナミックに展開します。難解でないところも、人々から広く支持される理由であると思います。

 1952年に封切られた「生きる」は、私の好きな映画です。志村喬演じる渡辺勘治は典型的な市役所職員で、30年間何ら創造的な仕事をすることなく、毎日単調な業務を淡々とこなして来ました。ある日、自分が胃ガンで余命6か月であることを知らされます。妻とは早くに死別し、息子夫婦にも冷遇され、絶望と孤独に陥ります。街へ出ては呑みなれない酒を口にしますが、心は晴れません。自分の人生はいったい何だったのか、何のために生きて来たのか、深く苦悩します。そんな時、かって自分の部下であり、現在はおもちゃ工場で働く若い女性(小田切みき)に遭遇します。彼女の生き生きとした姿を見て、また「おもちゃを作ることで子供達に喜ばれていると想うと嬉しい」と話すのを聞いて、自分も人生の最後に何かしよう、他人のためになることをしようと決心します。そこで、ある地域の住民達から要望の強かった児童公園造成計画の遂行に乗り出します。一度廃案になった計画を復活させるのは、当時の常識ではとても実現不可能なことでしたが、反対する関連部署の課長や助役らに必死に頭を下げ協力をお願いします。ゴンドラの唄がんに侵されて痩せ細り、目も落ち窪んで来る中で、必死になって何度も何度も頼み込み、ようやく完成するのです。まさに奇跡的な事業でした。小雪の舞う夜、完成した公園のブランコに揺られながら、彼は『ゴンドラの唄』を歌います。

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ゴンドラの唄

吉井勇作詞 中山晋平作曲

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

 

 その歌う顔には、病や死に対する恐怖心や苦痛は消え、穏やかで嬉しそうな表情が浮かんでいます。何かを成し遂げた充実感からでしょうか。そしてそのまま公園で凍死します。
 死期が迫って来て初めて生きることの意味を考えた一役人の話ですが、観客は「生きること」「死ぬこと」について様々に考えさせられます。この映画を作成した時、黒澤監督は42歳で監督歴10年、「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞したばかりの油の乗り切っている頃でした。彼はその頃次のように考えていたそうです。

 僕は時々、ふっと自分が死ぬ場合の事を考える。するとこれではとても死にきれないと思って、居ても立っても居られなくなる。

(「しみじみと感情を湛えて『生きる』演出記」映画プレスシート)

そして後年、次のように述べています。

 僕が自分に問いかけたのは、「どうしたら心安らかに死ぬことができるだろうか?」だったんです。答えは、いつもベストを尽くして生きていくということだった。

(「黒澤明」「カット」1990年11月号)

 どんなことでもよいから、他人に喜んで貰えることにベストを尽くして挑戦する、若い人達にとっても、私達のように残り時間の少なくなった者にとっても、大切なことなのだと改めて認識を深めています。一度しかない大切な人生、ベストを尽くして生きる、最後にそれが達成できて、「生きる」の主人公渡辺勘治は安らかな顔になったのだと思います。

さて病院の話題です。今回は、南医療センターの地域医療連携室と医療相談室をご紹介致します。現在両部署には、医療ソーシャル・ワーカーと事務員がそれぞれ1名ずつ勤務しています。

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 地域医療連携室は、紹介患者さんや逆紹介患者さんの情報を管理するのが主な業務です。他の医療機関から紹介頂いた患者さんの医療情報が、紹介元へ返信されているか確認し、紹介元の医療機関と当院との情報共有が円滑に行われるように努めています。また、当院の患者さんを他の医療機関へ紹介する際には、患者さんの利便性を十便考慮した上で、しかるべき医療機関を紹介するようにしています。
 医療相談室では、医療ソーシャル・ワーカーが週1回病棟カンファレンスに参加し、患者さんの退院を調整する看護師と緊密な連携を取り、リスクファクターの高い患者さんに対しては、早期の相談や指導を心掛けています。患者さんやご家族の皆様の立場に配慮し、不安や悩みの相談に真摯に対応して、患者さんの生活が少しでも向上するように努力しています。平成26年度には、医療相談(転院・入所など)92件、福祉相談(経済問題など)7件の計99件の相談業務を行いました。
 これからも、院内各部署や他の医療機関、介護施設などとの連携を強め、患者さんやご家族の皆様のライフスタイルに配慮した心温かい医療相談を行っていきたいと張り切っています。どうぞよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(平成27年4月)

桑名市総合医療センター理事長  竹田 寛(文、写真)
竹田恭子(イラスト)