理事長の部屋

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5月 三つ葉つつじ

-桜と新緑の中、目を射る赤紫の鮮やかさ-

桜と新緑と三つ葉つつじ(津偕楽公園)

                                               桜と新緑と三つ葉つつじ(津偕楽公園)

 今年の桜は開花が遅かった割にすぐに満開となり、その後気温の低い日が続いたため長い期間楽しめたように思います。皆さん方は如何でしたか?
 満開の桜が散り始める頃、木々の若葉が爽やかに芽吹きます。暖かな春の陽を浴びて、まさに桃色と黄緑色の光の饗宴です。そんな中、ひときわ鮮やかな赤紫色が私達の眼に飛び込んで来ます。明るく穏やかな春の空気を、一瞬凍らせるような赤紫、三つ葉つつじの赤紫です。特に新緑の山の中で、その鮮烈な赤紫を見つけた時には、ハッとして胸がキュッとなるような驚きを覚えます。そんな緊張感のある赤紫、それが三つ葉つつじの赤紫です。

         表1 「つつじ」の仲間の開花時期、「おしべ」の数、苞の中のつぼみの数の比較

「つつじ」には多数の種類がありますが、その中で三つ葉つつじ、「つつじ」、「さつき」の特徴を比較したのが表1です。まず開花時期ですが、最も早く咲くのが三つ葉つつじと小葉の三つ葉つつじなどの仲間で、4月上旬から中旬にかけて公園や社寺の境内、里山などを彩ります。ついで咲き出すのが街で普通に見かける「つつじ」で5月の連休過ぎがピークでしょうか。それから数週間経ち5月も中旬を過ぎますと「さつき」が開花します。それ以外に「おしべ」の数や苞(ほう)の中のつぼみの数にも違いがありますが、その解説は後述します。三重県は全国一の「さつき」生産県で、三重サツキのブランドで全国シェアの40%を占めるそうです。

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 三つ葉つつじは、枝先に三枚の葉が付くことから、その名がつきました。うち一枚が小さいものもあります。葉の出始めの頃、三枚の若葉は直立して三角錐のようになり、それらが立ち並ぶ様は、何となくユーモラスで親しみを感じます。

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鈴鹿市の伊奈冨(いのう)神社の境内に咲く小葉の三つ葉つつじ

          鈴鹿市の伊奈冨(いのう)神社の境内に咲く小葉の三つ葉つつじ

 三つ葉つつじには、名前の前に何も付かない「三つ葉つつじ」そのものと、土佐の三つ葉つつじとか小葉の三つ葉つつじなど、地名や植物の特徴を表わす形容語の付く種類があります。植物学的にはミツバツツジ、トサノミツバツツジ、コバノミツバツツジなどとカタカナ表記にするのが正しいのですが、カタカナばかりが並びますと何のことか分からなくなります。

  偕楽公園の三つ葉つつじ おしべは10本です

それよりも「土佐の三つ葉つつじ」や「小葉の三つ葉つつじ」のように漢字混じりにした方が、「土佐地方由来の三つ葉つつじ」「普通の三つ葉つつじより葉の小さな三つ葉つつじ」と、意味が良く分かり覚え易くなります。また日本古来の植物は、カタカナよりもひらがな表記の方が、慣れ親しんでいることもあり、語感もやわらかになります。それで私は植物名を、外来種は別にして、敢えて漢字とひらがな混じりで表記することにしています。
 鈴鹿市稲生地区にある伊奈冨(いのう)神社は、小葉の三つ葉つつじ(地元では紫つつじとも呼ばれています)で有名で、三重県の指定名勝となっています。境内はそれほど広くはないのですが、大きな神木や桜の木の間に約5,000株もの小葉の三つ葉つつじがびっしりと植えられていて、満開になりますとその量感豊かな赤紫に圧倒されます。
 小葉の・、土佐の・など形容語の付く三つ葉つつじには多数の種類がありますが、形容語の付かない三つ葉つつじとの間には、近縁種とは思えないほど大きな違いがあります。それは「おしべ」の数で、三つ葉つつじでは5本、形容語の付く三つ葉つつじは、どれも10本です(表1)。津市の偕楽公園も三つ葉つつじの名所ですが、ここの「つつじ」の「おしべ」はどれも10本あり、単なる三つ葉つつじではなく何らかの形容語の付く三つ葉つつじと考えられます。
「おしべ」が5本の三つ葉つつじが見たいと思い、ネットで調べますと東京の小石川植物園にあることが分かりました。そこで4月の中頃、横浜で開催された学会のついでに東京まで足を延ばしました。小石川植物園は、さすが東大理学系研究科の附属植物園だけあって、広大な敷地に夥しい数の植物が育てられていて、そのスケールの大きさに圧倒されました。

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       満開の三つ葉つつじ 

いろいろな種類の桜の大木が園内のあちこちに立っていて、満開を過ぎた頃、暖かな春の陽射しを浴びて桜吹雪が園内を舞っています。ちょうどお昼時で、大勢の親子連れが微笑みながら弁当を拡げていました。
その一角につつじ園があり、お目当ての三つ葉つつじを見つけました。満開から少し経った頃でしょうか。早速「おしべ」を数えてみましたら、間違いなく5本です。
私はすっかり嬉しくなり、夢中になってシャッターを押し続けました。

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  三つ葉つつじ 「おしべ」は5本です

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近くに咲いていた白花小葉の三つ葉つつじ         「おしべ」は10本です

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 植物園では、ちょうど三つ葉つつじの一種であるオンツツジが満開で、赤桃色の美しい花が咲き揃っていました。

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 ところで小葉の三つ葉つつじですが、右の写真のように、つぼみはその先端が茶色になっています。遠くから見ると先端が枯れているのかなと思うほどですが、近寄ってよく見ますと、茶色の帽子を被っているようです。これは何でしょうか。

 

 

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頭の茶色な赤紫の鳥が、たくさん集まって樹の枝に止まり、四方八方周囲の様子を窺っているようです。

 

 

 

 

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「つつじ」やその仲間では、つぼみは小さい頃、苞と呼ばれる薄茶色の膜に包まれ、つぼみを傷つけようとする外敵から保護されています。苞を手で触れると粘り気がありますが、虫などの足に絡みついて動けなくすることもあるそうです。つぼみが大きくなるにつれ、苞は茶褐色に変色し、分断され離開します。

「つつじ」では、通常苞には3個のつぼみが入っており、それらが大きくなるに連れ、茶褐色の苞は分割されてつぼみの根元で四方に拡がります。

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一方、小葉の三つ葉つつじでは、苞の中につぼみが1個入っています。つぼみが生長するに従い、分断された苞は上方へ押し上げられます。するといかにも帽子を被っているように見えます。

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さらにつぼみが生長しますと、苞の破片はつぼみの先端まで押し上げられ、開花した後も花弁の先にひっかかっていることもあります(黄矢印)。

 

 

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「つつじ」でも苞の破片が押し上げられる場合もありますが、複数つぼみにまたがるため、つぼみの生長とともに外れてしまいます。

 

 

 

 

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「つつじ」の中には稀に苞の内につぼみが1個しかないものもあり、その場合には、帽子を被ったようになります。 

 

 

 

 

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以上をまとめますと、右図のようになります。
1つの苞に包まれるつぼみの数が1個の場合には、分断された苞は上方へ移動し帽子を被ったようになりますが、複数個ある場合には、苞は分割されつぼみの根元で開きます。

 

 

 江戸時代、小石川植物園の敷地には小石川養生所がありました。1722年(享保7年)、将軍徳川吉宗と江戸町奉行大岡忠相により、享保の改革の施策として小石川薬園内に設置されたものです。当時江戸では急速に人口が増加し、それにつれ生活困窮者も急増し、その対策が急がれていました。当時町医者であり漢方医でもあった小川笙船(おがわしょうせん)(1672-1769)は、貧民対策として江戸に無料の施薬院の設置を要望する意見書を目安箱に投書し、それが吉宗の目に留まって実現することとなりました。笙船は養生所の初代肝煎に就任し、「赤ひげ先生」として親しまれました。しかし、入所基準が厳しく、また養生所が幕府直轄の小石川薬園に設置されたため、薬草などの実験台にされるという噂が立ち、当初入所者は少なかったそうです。その後、入所基準が緩和され、江戸市内の有力者を養生所へ招待して見学させるなどすることにより、患者は徐々に増え、ついには入所希望者を全て収容できない状況にまでなったそうです。以後幕末まで、幕府付きの漢方医が中心となり、貧民救済のための無料医療施設として存続して来ましたが、明治政府の漢方医学廃止の方針により閉鎖されました。

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黒澤明監督、映画「赤ひげ」は、小石川養生所を舞台にしたヒューマニズムあふれる名作です。原作は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」で、主人公の赤ひげ先生(新出去定)に三船敏郎、長崎帰りの若い蘭学医(保本登)に加山雄三が扮し、1965年昭和40年)に公開されました。エリート意識満々の保本は、当初、漢方医である新出を馬鹿にし反発します。しかし貧しい病人には無料で診察し、裕福な武士や商人からは高額の診察料を受け取って貧しい病人達に分け与える新出の姿を見て、次第に心惹かれて敬服するようになり、やがてほんとうの医療とは何かということに目覚めていきます。この映画は、知識や技術ばかりを偏重して患者を診ない現代の若い医師(私も昔そうでしたが)に対し今なお警鐘を鳴らします。また新人俳優、内藤洋子の清純な演技が人気を博しました。
 現在四日市市内で内科診療所を開設されています中嶋寛先生は、私の先輩であり、前三重県医師会長でもあります。名前が同じ「寛」ですので、昔から可愛がって貰っています。
先生の母方のお祖父さんに大久保儀助という内科医がいて、大正時代から昭和初期にかけて鈴鹿市で開業されていたそうです。大久保先生の診療はまさに赤ひげ先生そのもので、貧しい人達からは診察料を取らず、その代わりに裕福な人からは高額な金額を受け取ったそうです。そのため先生が幼い頃、お祖父さんの家へ行くと、玄関や軒先に農作物や魚など感謝の品物がいっぱい届けられていたのを、覚えておられるとのことです。
 世界に冠たる日本の保険医療制度、その根底には、江戸時代の小石川養生所に始まり、明治、大正、昭和と民間の先生方に受け継がれて来た「貧しい人にも同等の医療を・・・」という平等を重んじる精神が流れているものと思われます。

 さて今月は、桑名東医療センターの看護部を紹介致します。当院のベッド数は238床で、5病棟あり、外来部門には手術室、透析部門ほか25の診療科があります。看護部は、助産師、看護師、介護福祉士、看護助手を含めて総勢約280名で構成される大きな組織です。私たち看護師は24時間ずっと患者さんの看護にあたるため、チーム医療のなかで、最もたくさんの情報を把握し提供することのできる重要な役割を果たしています。
 今年度の3センターの統一した看護部目標として、『新病院開院に向けての最終準備期間であり、看護体制を統一し、全職員が一体感を強める』ことを掲げています。具体的には、情報の共有化を促進し、各部署の職員とのコミュニケーションを強化します。患者さんに安全で安心できる医療を提供するために、「思いやり」「優しいおもてなし」「コミュニケーション」「笑顔とあいさつ」の4つのテーマを基に、月間目標を立て日々取り組んでいきます。

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          新人研修会の様子

 患者さんに看護を提供させて頂く方法として、PNS(パートナーシップ・ナーシング・システム)を導入し、先輩と後輩看護師の2人がペアを組み、安全な医療の実践と後進への医療教育を目的としながら、実際の看護にあたっています。同時に、患者さんやご家族にとって安全で安心のできる看護となるように、看護教育にも力を入れています。一人ひとりの看護師が自己実現をめざし、専門職として自立し、主体的に活動できることを目的とした教育プログラムを企画し実践しています。また、新人教育においては、他の多数の施設からの新人も受け入れ、地域で一体となって看護師を育成するシステムをとっています。
 国は施策として、“高齢者が可能な限り、住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることが出来るように、地域全体でサポートすること”という方針を打ち出しました。認知症患者さんが増加してきた昨今、私たち看護師は、多職種と協働し、認知症の患者さんが安心して在宅医療へ戻れるように支援させて頂いています。
 大きな組織である看護部が、今こそ大いに力を発揮することが重要だと考えています。新しい桑名総合医療センターの開院に向けて、看護部一丸となって取り組み、地域の皆様から、愛され、支援される病院を目指して頑張りたいと思います。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

平成29年5月
桑名市総合医療センター理事長 竹田 寛   (文、写真)
竹田 恭子 (イラスト )