理事長の部屋

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2月:陽だまり      

ー縁側の日向ぼっこ、座布団のぬくもり、温かいお茶ー

 

今ではすっかり見かけなくなった縁側

 今年の冬は寒かったのか、そうでなかったのか、よく分からないまま過ぎて行ったような気がしますが、皆さんにとっては如何でしたか。でも振り返ってみますと、おしなべて暖冬だったような気がします。少なくとも昨年と比べれば、ずいぶん暖かかったですね。それでも2月4日の立春の後、何となくうすら寒い日が続きました。雨は降らないのですが、天気は晴れたり曇ったり、雲が多くてスカッとした冬晴の日は少なかったように思います。雨が降らないため記録的な乾燥が続き、全国的にインフルエンザが大流行しました。さらに追い打ちをかけるように、三重県では「はしか」も流行し、私達病院職員や行政や教育関係の人々は、その対応に追われてたいへんでした。そんな何となく寒々しい、どんよりとした冬空のような気分で毎日過ごしていますと、ふと恋しくなるのは暖かな陽だまりです。陽だまりの縁側で日向ぼっこして、お茶でも飲みながら何を考えるでもなく、のんびり庭でも眺めて過ごしたいと思うのです。今ではほとんど見かけなくなった縁側、上の写真は妻の実家の縁側です。庭にある大きな樹の木漏れ陽が縁側に注ぎ、座布団を明るく照らします。庭は冬の装いですが、ガラス戸に映る庭木の葉は緑鮮やかで、春の近いことを予感させます。そこで今回は寒い2月にありながら、陽だまりで健気に咲き、春の訪れを感じさせる草花を取り上げることにしました。
 我が家には、暑い夏を何年も過ごし、毎年2月には決まって美しい花を咲かせてくれる鉢植えなどの植物たちがいます。

福寿草です。4年前、友人から貰った鉢植えを庭へ植えたのですが、毎年2月には黄色い小さな花を咲かせてくれます。さざんかの垣根を漏れて来た陽だまりで、穏やかな黄色に輝きます。

 

クンシランです。これも何年になるでしょうか。屋内の日当たりの良い窓辺で育てているのですが、毎年春先になると鮮やかなオレンジ色の花をたくさん咲かせてくれます。

桜草の仲間たちです。2年前、本稿で桜草を取り上げた時に買い求めた、プリムラ・マラコイデスなどいろいろな種類の鉢植えを育てて来たものです。約1/3ほどに減りましたが、麗らかな早春の陽を浴びて、色とりどりに咲き揃っています。

 戸外へ出てみましょう。2月の野山は、遠くから見るとまだまだ一面冬景色のようですが、近づいてよく見ますと、小さいながらも色鮮やかな花や草が春の息吹を喜んでいます。

青色も爽やかなオオイヌノフグリ

畔は紅葉したスイバでいっぱいです

早くもタンポポが咲いていました。 西洋タンポポでしょうか、黄色の花と黄緑色の若葉が柔らかな陽を浴びて、暖かそうです。    

自宅の近くを走る大きな道路は、山を切り崩して造られたものです。その両脇は斜面になっていて、そこにできた雑木林も明るくなってきました。所々に水仙が株を作って白い花を咲かせています。

 

山を見上げますと、冬の間は青黒く寒々としていた山肌も、青みが増して明るく輝いています。近くの冬木立の白い幹も、心なしか元気を回復してきたようです。

 

何よりも嬉しいのは、畑には元気いっぱいの麦の若葉がどんどん伸びて来て、美しい緑の列を何十本も作っていることです。

 

梅の蕾も膨らんで来ました。春はもうすぐそこまで来ています。

 縁側、最近ほとんど見なくなりました。都市部ではもちろん、田舎でも古い農家にしか残っていないのではないでしょうか。縁側で日向ぼっこする母と子、祖母と孫、如何にも絵になる日本の懐かしい風景です。小津安二郎作品など古き良き日本映画では、必ず登場した定番の舞台です。日本の伝統的な家屋は、冬、屋内はどこも暗くて寒いですから、太陽のさんさんと降り注ぐ明るく暖かな縁側は、好まれたのでしょう。隣近所の人たちとの社交の場でもありました。縁側の文化、日本文化を支えて来た大きな要素の一つかも知れません。
 縁側と云えば、私達が子供の頃よく歌った童謡 「肩たたき」を思い出します。1923(大正12)年、子ども雑誌『幼年の友』に発表された曲で、母を想う子供のやさしい気持ちが伝わってきます。作詞は西条八十(1892-1970年)ですが、苦労をかけた母親が緑内障により失明したため、この詞を書いたそうです。西条八十は、早稲田大学で教鞭を取りながら象徴派詩人として活躍し、「東京行進曲」、「蘇州夜曲」、「青い山脈」、「誰か故郷を思わざる」、「王将」など数々の有名な歌謡曲の詞を書いたことでも有名です。また童謡の作詞も手掛け、「肩たたき」の他に「かなりあ」「鞠と殿様」などの作品があります。このうち「かなりあ」の詩は、1918(大正7)年に鈴木三重吉の雑誌「赤い鳥」に発表され、それに成田為三が作曲したものです。この童謡が好評を博したため、それ以後赤い鳥に掲載された詩には曲が付けられるようになったそうです。この歌は「歌を忘れたカナリアは・・・」の美しい旋律で始まりますが、後は「後ろの山に棄てましょか」、「背戸の小藪に埋〈い〉けましょか」「柳の鞭でぶちましょか」などと衝撃的な詞が続きます。私は初めて聞いた時、子供心にも、ずいぶん残酷な歌やなあと思いました。これには西条八十の幼い頃の記憶が関係しているそうです。教会のクリスマスに行った夜のこと、会堂内にはたくさんの電灯が明るく華やかに灯されていましたが、彼の頭上の電灯だけ消えていたそうです。その時、他の鳥達は楽しそうに囀っているのに、一羽だけ囀ることを忘れた小鳥のように感じたそうです。でも最後は「象牙の舟に銀のかい 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」と結び、何とか救われますが・・・。ちなみに八十という名前は親の付けた本名ですが、「苦しいことがないように」と「八九十」の九の字を抜いたものだそうです。 

 日向ぼっこの縁側と云えば、寺田寅彦(1878-1935年)の随筆「茶わんの湯」を思い出します。縁側の日向で、茶わんのお湯から上がる湯気の動きや、茶わんの底にみえる模様を詳細に観察し、自然界でみられる様々な気象現象の正体や成因を分かりやすく解説しています。例えば、お湯から立ち上る湯気が渦を巻くのと同じように、春先、前日雨が降って湿った庭に暖かな陽が当たると渦が発生することがあります。それと同じ原理で規模を大きくしたものが竜巻であり、雹(ひょう)や霰(あられ)を降らす雷雲であると説明します。この随筆は寺田寅彦が前述の雑誌「赤い鳥」へ少年少女向けの科学的読み物として寄稿したものです。私達の世代では、小学校か中学校の国語で習った人も少なくないと思います。私は高校時代、寺田寅彦の随筆が好きでした。たくさんの作品のなかから、少しずつ拾い抜きしては読んだものでした。寺田寅彦は、自然科学者としての冷静な観察眼と素養を持ち、夏目漱石の弟子として文学や音楽などの造詣も深く、自然科学と芸術とを総合した随筆の新しいスタイルを確立しました。読者にとって何よりも嬉しいのは、身の回りにある様々な事象を、やさしい文章で分かりやすく記述してあることです。私は寺田寅彦の文章を読んで、誰にも分かるように書き表すためには、難しい言葉は使わず、平易な文章で簡潔に表現すべきであると教わりました。さらに、じっくり観察することの大切さです。対象を先入観なくありのまま詳細に観察すること、それにより今まで見えていなかったものが見えるようになり、ついで様々な疑問が湧いてきて、それを解決するためには次にどうしたら良いか、プロセスの方向が明らかになって来ます。これが自然科学における研究の原点なのではないでしょうか。私はこのブログをかれこれ8年近く書き続けていますが、いつも頭の片隅には寺田寅彦の随筆を意識しながら書いて来ました。誰にも分かるように書いているだろうか、ちゃんと観ているだろうか、と自問自答しながら・・・。しかしまだまだそのレベルには達していません。それどころか先月号では大きな失態を演じてしまいました。十分な観察をせず、自身の思い込みで書いてしまったからです。その顛末につきましては巻末に記しましたので、是非お読みください。

 さて病院の話題です。今月は、新病院になって新しく開設されました脳卒中センターについて、副院長でありセンター長でもある阪井田博司先生にご紹介いただきます。
 脳卒中センターには、脳神経外科医5名と脳神経内科医4名が常勤し、脳出血や脳梗塞など急性の脳血管障害患者を中心として、救急対応から診断、治療、リハビリテーションまでの診療を行っています。本センターには、脳神経外科学会、脳神経内科学会の専門医および指導医、脳神経血管内治療の専門医および指導医のほか、脳卒中の外科技術指導医、脳卒中専門医、内視鏡技術認定医、頭痛専門医、抗加齢医学界専門医、総合内科専門医、リハビリテーション科専門医など、脳卒中の診療に関わる多数の資格を有するスタッフが揃っています。
 急性脳卒中の治療において近年特に進歩したのは、血管内治療です。血管内治療とは、脳動脈瘤や脳梗塞などに対し、手術ではなく、血管造影の方法でカテーテルと呼ばれる細く長い管を血管内へ挿入し、その先端を脳血管まで推し進めて治療を行うものです、脳動脈瘤にはコイルを留置し、脳梗塞には血栓溶解剤などを閉塞した血管へ注入します。手術に比べ速やかに開始できますので救急患者に有用性が高く、また全身状態が悪くて手術できない患者さんなどにも利用されます。下図をご覧ください。本センターの前身、桑名西医療センター脳神経外科における血管内治療の年ごとの件数を示したものですが、年々件数は増え昨年度は80件を超えています。2013年には濱田和秀先生、2017年には阪井田先生と、それぞれ血管内治療を専門とする先生が着任されて件数が大幅に増加しました。新病院となった今年度は、昨年5月から今年1月までの実績で既に78件となっていて、三重県内の病院でもトップクラスの実績を誇っています。
 救急医療に関しましては、救急隊と脳卒中ホットラインを開設し24時間365日の対応が可能な救急体制を整えています。そしてクモ膜下出血に対する脳動脈瘤コイル塞栓術、脳出血に対する内視鏡手術、超急性期脳梗塞に対する血栓溶解剤(rt-PA)静注療法や機械的血栓回収術などを積極的に行っています。脳卒中ケアユニットを含む集中治療室で厳重な管理が可能となって、血管内治療を行う環境が整い、件数が増加しました。
 またモーニングカンファレンスや総回診、あるいはStroke(ストローク)カンファレンスで、多職種のスタッフがお互い情報を共有しながらレベルアップを図り、急性期治療から リハビリテーションまで質の高い医療を提供できるように心がけています。さらに市民への啓発活動や地域の医療機関との連携強化にも取り組み始めています。
桑員地区において脳卒中で苦しまれる方を少しでも減らしたい、脳神経外科医と脳神経内科医がスクラムを組んで頑張っています。どうぞよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脳卒中センターの先生方

お詫び 
 前号で「竹の葉の新緑を楽しめるのは、秋から冬にかけて」と記載しましたが、竹のご専門の先生から間違いをご指摘いただきました。正しくは次のようになります。「竹は春に筍を出した後、黄葉し葉を落とします。その後すぐに若葉が出て新緑の季節を迎えます。したがって新緑の竹の葉を楽しめるのは、5月下旬から初夏にかけてということになります。そして、そのまま秋から冬にかけて美しい緑の葉を楽しめます。」これは私自身実際に竹の若葉の出るところを見たことがなく、ネットであちこち調べ勝手に思い込んで記述したからです。謹んでお詫び申し上げますとともに、ご指摘いただきました先生に深謝申し上げます。これからも私の拙文をお読みになって、「おかしいな?」と思われる個所がございましたら是非ご指摘ください。記述する内容は専門外のことも多く、専門の方からご意見をいただきますのは、ほんとうに有難いことです。どうぞよろしくお願い申し上げます。なおホームページ上の文章は訂正しましたが、既に配布致しました冊子はそのままになっておりますので、お持ちの方はご訂正いただきますようお願い申し上げます。

                                    平成31年2月
                              桑名市総合医療センター
                                竹田 寛 (文、写真)
                                竹田 恭子(イラスト)