理事長の部屋

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10月:そば

―下町の蕎麦屋さんの楽しみは、ほんのり漂う江戸情緒―

三岐鉄道丹生川駅北西に拡がる満開のソバ畑。遠くの鉄橋を電車が渡っています。

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 昨年末日本列島は記録的な寒波に襲われ、全国あちこちで大雪の被害が続出しました。新型コロナ感染は第8波の拡大期に入り、久しぶりに行動規制のない年末年始の休暇を迎え、帰省や旅行客がどっと増えて、果たしてどうなるものかと懸念されました。年が明けて正月三が日、穏やかな晴天の日が続き、コロナ新規感染者もそれほど増えず、ほっとしているところです。皆様は如何お過ごしになられましたか。
 さて話は2か月戻り去年の10月です。以前より秋晴れの空の下、地平線いっぱい拡がる「そば」の白い花畑を見たいと思っていました。信州にでも行かないと見られないのかなと思っていましたが、ある日の新聞に、いなべ市のそば畑が満開とあります。そこで10月初めのよく晴れた日曜日の朝、妻と二人でいそいそと車で出かけました。近鉄富田駅から藤原岳の麓へ向けて走る三岐鉄道三岐線に丹生川という駅がありますが、その北西にそば畑が拡がっています。あまり広くはありませんが、今まさに白い花で満開です。ここはそば畑を背景とした鉄道写真の撮影スポットとして有名な所で、この日も日曜、秋晴れ、満開のそば畑と三拍子揃い、大勢の撮り鉄の人達で賑やかでした。ちょうど黄と緑のツートンカラーの小さなローカル電車が走って来た時に、マニアの人達に混じって撮ったのが上と下の写真です。

白いソバ畑のすぐ向こうを貨物列車が通り過ぎて行きます。


夏の忘れ残りの白い雲と青空の下、白いソバ畑が拡がります。

 ソバはタデ科ソバ属の一年草で、原産地は中国北部からバイカル湖付近と言われて来ましたが、最近では中国南部雲南省あたりという説が有力になっているそうです。いつ日本に伝わったか定かではありませんが、弥生時代には既に栽培されていたそうです。ソバにはいくつか種類がありますが、畑で育てられているもののほとんどは、食用の蕎麦の原料となる普通ソバ(以下ソバと記します)です。

ソバの花

 茎の高さは5070㎝、先端に白か淡黄色の小さな花が総状花序に咲きます。5枚の花びらのように見えるのは、花弁ではなく萼片だそうです。「おしべ」は8本、根元に黄色い蜜腺があります。「めしべ」は3本あるように見えますが、花柱は1本で柱頭が3つに分かれています。   「めしべ」が「おしべ」より長い花を「長花柱花」、逆に短い花を「短花柱花」と言います。一つの株には長短いずれかの花しか咲かず、しかも同じ長花柱花と長花柱花あるいは短花柱花と短花柱花では受粉は行われません。長短の組み合わせの時にだけ受粉が成立しますが、これを異形花型自家不合和性と言います。

 ソバには他に、ダッタンソバ(韃靼ソバ)やシャクチリソバ(赤地利ソバ)などがあります。韃靼ソバは同じくソバ族の一年草で、韃靼とはモンゴル東部に居住したモンゴル系遊牧部族タタールのことです。そういえばボロディンの有名な歌劇「イーゴリ公」にも、「韃靼人の踊り」という美しい曲がありました。この種を材料とした「そば」を彼らが好んで食べたことから韃靼ソバと名付けられました。独特の苦みがあり、ニガソバとも呼ばれます。
 一方のシャクチリソバですが、シャクチリとは漢字で「赤地利」と書き、茎の下方部が赤いことからこの名が付いたと言われます。中国の明時代に編纂された壮大な植物図鑑「本草綱目」に赤地利と記載されていたものを、牧野富太郎が日本語読みし、語尾にソバをくっつけてシャクチリソバ(赤地利ソバ)となったそうです。ヒマラヤ原産ですので「ヒマラヤソバ」、また一年草ではなく多年草ですのでシュッコンソバ(宿根ソバ)とも言われます。昭和のはじめ薬草として輸入され薬草園などで栽培されていましたが、1960年代に薬草園から逸脱して野生化し、現在では里山でも見られるようになりました。

 私がいつも自転車で走る小径に沿って林があり、その縁に小さな白い花が群れて咲いています。小さな群生ですが、昨年も咲いていました。近づいて花をよく見ますと「ソバ」にそっくりです。昔、少し離れた場所にそば畑がありましたので、その種が飛んで来たのかと思いました。あるいは野生化しているのですから、赤地利ソバかも知れません。そのどちらかであると考え、写真を何度も何度も見直し、ネットであちこち調べてみました。でもなかなか結論を出せませんでした。

遠くの山を見晴るかすように群れて咲く白い花

 

 さてこの花、ソバでしょうか、あるいは赤地利ソバでしょうか?

 
 それでも苦心して辿り着いた結論は赤地利ソバです。以下、その理由を記します。ソバと赤地利ソバの違いについて、一般的に言われているのは次の通りです。

 1)ソバは一年草、赤地利ソバは多年草  
  昨年も同じ場所にみられたこの群生は多年草、すなわち赤地利ソバと考える方が自然でしょうか。

 2)ソバの葉は茎を抱く、赤地利ソバの葉には葉柄がある
  確かにソバの上方の葉は茎を抱きますが、すべての葉がそうではなく下方の葉には葉柄があります。一方、赤地利ソバの葉は、下から        上端部まで葉柄があります。右端の写真は、この群生を構成する植物の葉ですが、先端部まで葉柄があります。​

ソバの上方の葉は茎を抱きますが、下方の葉には葉柄(青矢印)があります。

この群生の植物の葉(青矢印:葉柄)

3)ソバの葉は細長い三角形、赤地利ソバの葉は横幅の広い三角形

 

  右の写真は、この群生の植物の葉ですが、細長い三角形で先端が尖っており、どちらか言えばソバの葉のように見えます。しかしネット上のあるサイトには、「赤地利ソバの下方の葉は横幅の大きい三角形だが、上方の葉は細長い三角形になる」と記されていました。そこでこの説を有難く採用させていただき、赤地利ソバの葉としました。

 

 今回は花の形からは区別できず、葉に着目して、この群生を赤地利ソバと結論付けましたが、自信はありません。間違っていましたら、ご教示ください。

 

すくすくと青空 に向かって伸びるソバの花


蜜蜂も好きなソバの花


朝露に濡れるソバの花


駅舎と行人とソバ畑

 昔、一時蕎麦に凝ったことがあります。バイブルとした本は、杉浦日向子とソ連の編著による「もっとソバ屋で憩う」(新潮文庫2002年刊)です。大の蕎麦好きで知られた杉浦日向子(1958-2005年)さんとその仲間(「ソバ好き連」を短縮してソ連)が編集したガイドブックで、東京都心や近郊を中心とした全国の美味しい蕎麦屋さん123店が紹介されています。特に昔からある下町の小さな蕎麦屋さんが数多く紹介されていて、私は東京出張の際には必ずこの本を持参し、蕎麦屋さんを探し求めては下町を歩き回ったものでした。日本橋の「室町砂場」、神田「まつや」、湯島の「池之端籔蕎麦」、日暮里「かわむら」などの名店を初めて訪れたのもこの時でした。山形ではソバ街道にある店をいくつか訪れましたが、その時もこの本のお世話になりました。杉浦さんは漫画家で、江戸時代の風俗を生き生きと描いた漫画を得意とし、代表作に「百日紅」「百物語」などがあります。時代考証家としても活躍し、NHKの日曜番組で江戸時代の庶民生活をやさしく分かりやすく解説してくれました。その愛らしく穏やかな語り口は多くの人々から愛されましたが、下咽頭がんのため46歳の若さで惜しまれながら亡くなりました。
 その頃、「蕎麦屋の系図」(岩崎信也著、光文社新書2003年刊)という本も読みました。そこには日本の老舗蕎麦屋である「砂場」「更科」「藪」「東屋」「一茶庵」の系図について詳しく解説されています。その中で興味深かったのが、最も歴史が古く現在も「室町砂場」や「南千住砂場」など東京で数店舗が営業している「砂場」ですが、そのルーツが大阪にあったということです。1548(天正12)年、豊臣秀吉は大坂城の築城に着手しますが、その砂置き場に「いずみや」とか「津国屋」などの蕎麦屋が店を出します。主に工事のために集まった労働者を相手に商売したそうですが、砂置き場に出来た蕎麦屋ということで、どの店も総称して「砂場」と呼ばれるようになったそうです。右上の絵は「いずみや」の店の内部を描いたものですが、実に大きな店であったことに驚かされます。それから約200年後、江戸時代中期になって「砂場」は江戸へ進出します。

摂津名所図会に描かれた「いずみや」店内の様子。(国立国会図書館デジタルコレクションより引用)

神田まつや

 12月の初め東京秋葉原で地域医療に関する学会があり、妻と出掛けました。ホテルも秋葉原でしたが若者の街ですので、どの店へ入って食事をして良いか分かりません。地図を見ますと神田まで歩いて10数分ほどです。そこで1日目の晩は神田の老舗蕎麦屋「まつや」へ、2日目の昼はすぐ側の「神田藪蕎麦」へとはしごをして、美味しい蕎麦を堪能しました。

 藪蕎麦は2013年に火災に遭いましたが、現在はイラストにありますように再建され非常に繁盛しています。藪蕎麦を出ますと真ん前に、これも有名な老舗珈琲店「ショパン」があり、ここへもお邪魔して美味しい珈琲をいただきました。 少しレトロで贅沢な時間を過ごした2日間でした。

神田藪蕎麦

 東京の下町の蕎麦屋さんへ入って嬉しいのは、ほのかに江戸情緒を感じることです。そこでちょっと一杯となれば、まさに池波正太郎(1923-90年)の「鬼平犯科帳」の世界です。時代小説で私が最もよく読んだのは藤沢周平(1927-97年)で、チャンバラのない時代劇と言われ、そのヒューマニズムに富んだ作風に魅かれました。主人公は主に下級武士や弱い商人で、自分一人ではどうすることもできない政治的あるいは社会的な大きな力により自分の人生は翻弄されますが、それを宿命と感じながらも何とか生きて行こうとするひたむきな姿が、飾り気のない文章で淡々と綴られます。
 代表作と言われる「蝉しぐれ」は、下級武士の青年と隣家の武家の娘との半生を通じた 「はかない恋」を描いたもので、激しい蝉しぐれに消え入りそうな二人の哀しい人生が静かに描かれます。テレビドラマ化もされましたので、それを見られた方も多いでしょう。
 私にとって特に印象に残っているのは「海鳴り」です。初老期の紙屋の主人と同業の大店の妻が主人公で、それぞれ家庭を持つ身ですがどちらも家庭内は冷え切っており、お互い心を通じ合わせるようになります。しかしいろいろな事が重なって抜き差しならない状況となり、二人は絶体絶命のところまで追い詰められますが、最後は一緒に水戸へ向かって旅に出るというところで希望の灯を残して終わり、読者もほっとして救われます。
 「三屋清左衛門残日録」も面白い小説でした。東北の小藩で長年用人として勤めた三屋清左衛門は、先代の藩主の死去を契機に家督を長男に譲って隠居生活に入ります。しかし藩内の派閥の対立や旧友らに関連する事件に巻き込まれ、なかなか隠遁生活には入れません。 また先に妻を亡くした清左衛門は、行きつけの料亭の薄幸の女将と、お互い淡い恋心を抱くようになります。1993(平成3)年にNHKでテレビドラマ化されましたが、脚本も配役も素晴らしく、特に清左衛門を演じた仲代達也さんと、料亭の女将役のかたせ梨乃さんの演技が抜群で、まるで純愛映画を観ているような、ほのぼのとした微笑ましさを感じました。
 他に山田洋次監督による「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」など、映画化された作品も多く、映画を見られた方も多いと思います。
 藤沢文学では、人間の運命や宿命の持つ不条理や哀しさ、そしてその中でもひたむきに生きようとする人達が美しく描かれます。後年にはさらに「老い」が加わり、「老いて、なお生きる」その意味を問いかけられているような気がします。高齢化社会に生きる現代の私たちにも、十分に共通するテーマではないでしょうか。

 さてコロナの話題です。新型コロナ感染は、昨年末から第8波の拡大期に入りました。追い打ちをかけるように、行動制限のない年末年始の休暇で全国の観光地には人出がどっと押し寄せました。懸念されるのは感染者の急増ですが、今のところ緩やかな上昇に留まっています。下図左をご覧ください。日本におけるこの半年間の新規感染者数と死亡者数(人口100万人あたり)の推移を示したものです。第8波における1日あたりの死亡者数は、既に第7波のピークを越えていますが、第8波の感染者数はあまり増えず第7波のピークの78割程度しかありません。そのため新規感染者数に対する死亡者数の比(死亡率)は、この半年間ずっと増加し続けています(下図右)。第7波も第8波も流行の主体はオミクロンBA.5系統のウイルスで、毒性はほとんど変化していませんが、死亡率が上昇しているのです。なぜ死亡率が増加しているのか、それは分母の数、すなわち新規感染者数が減少したためで、恐らく新規感染者の届け出数が減ったことによるものと考えられます。

日本における最近半年間の新型コロナ感染の新規感染者数と死亡者数((左図)と死亡率(右図)の推移。(Our World in Dataより引用、改変)

 昨年9月より新型コロナ感染の疑われる患者さんの検査法や届け出法が変わりました。高齢者や基礎疾患があって重症化しやすい人は、従来通り発熱外来などを受診して陽性であれば登録されますが、若年者で基礎疾患が無く重症化リスクの低い人は、自分で市販の抗原検査キットで検査し、陽性であれば保健所へ届け自宅療養することになっています。
 また最近のコロナ感染症の特徴は、症状が非常に軽くなっていることです。微熱か、熱の無い場合も多く、喉の痛みや鼻水が23日続く程度で終わり、インフルエンザや普通の風邪よりも症状の軽い人が多いのです。症状が無いか、有っても軽いため検査を行わない、あるいは検査で陽性となっても届け出ない、そういう人も少なくないのではないでしょうか。
 新型コロナ陽性者や濃厚接触者は、症状がほとんど無いのに仕事を休まなければならない、ここにも問題があります。医療の現場では、スタッフは元気なのに出勤できないため人手不足となり、病棟閉鎖や救急の受け入れ停止をせざるを得ないという病院が続出しています。これを解消するには、新型コロナ感染症を現行の2類感染症から5類感染症に変更して規制を緩和する必要がありますが、容易に変更できないのは、次にどのような変異株が登場するか分からないからです。今最も心配されているのは、昨年秋シンガポールで大流行し、現在アメリカで急拡大しているオミクロン変異株XBB、またはXBB1.5です。この株の特徴は、再感染率の高いことで、感染したりワクチン接種により一度獲得した抗体が効かない可能性があるとのことです、ただし症状や重症化率は従来のオミクロン株と比べ大きく変わらないそうです。いずれ日本に入って来るものと思われますが、くれぐれもお気を付けください。

                                                                     令和519
                   桑名市総合医療センター理事長 竹田  寛  (文、写真)
                                  竹田 恭子(イラスト)

 

 

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